2008年6月、中ロ国境の旅(その1)

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2008年6月、前回の吉林省・延辺からウスリースクの往復に引き続き、今度は黒龍江省の黒河からロシア・アムール州のブラゴベシチェンスク、ハバロフスク地方のハバロフスクを経て、また黒龍江省に戻る中ロ国境の旅に出かけた。

ハルビンでの会議の後、空路で中ロ国境の街、黒河入りした。


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ハルビンから黒河までは約1時間。中国南方航空(北方分公司)のA320で快適なフライトだった。黒河空港到着後、荷物を受け取り、ターミナルビルから出る。空港バスを探したが、どうもないようだ。

タクシーの運転手が近づいてくる。「乗らないのか」と尋ねてくるが、とりあえず「乗らない」と答え、バスを探す。しかし、バスはない。仕方がないので、タクシーとの値段交渉に入る。言い値は50元、少し高い。乗る、乗らない、街まで歩いていく(20キロくらいある)を繰り返し、25元まで下がった。少し安すぎるので、後で値段が上がるかも知れない(実際そうなった)と思いながらタクシーに乗り、市内のホテルに向かう。

空港から市内までは、片側1車線の立派な舗装道路。車がほとんど通らないので、15分ほどで街の入り口までやってきた。道路工事で舗装がはがしてあるところを、濛々たる土ぼこりの中を進む。窓を閉めても、隙間から埃が入ってきて、全身土ぼこりでコーティングされてしまった。



ホテルにチェックイン後、黒河市内を散歩する。黒河は小さい街なので、繁華街はそれほど大きくない。繁華街を抜けて黒龍江(ウスリー川)に向かう。河岸の公園を散歩すると、黒龍江で水泳をしている人々を見かけた。川の向こうは、ロシア・ブラゴベシチェンスク市。陸上国境のない日本から来ると、何となく珍しい国境だ。

散歩の次は、食事。36度の酷暑の中、レストランを探す。黒龍江(ウスリー川)からそれほど遠くないところに、割合清潔な感じの中国料理店があった。店に入ると、ロシア人のお客さんも多い。





ロシア人のお客さんはメニューを見ているが、私は中国人に見えたのか(日本人はほとんど来ないだろうから、当たり前か)、先にサンプルを見ながら料理を注文しろといわれる。
ナスの炒め物と水餃子、この店で醸造している生ビールを頼み、席に着く。隣の席はロシア人だった。

この店に限らず、黒河市内の比較的こぎれいな飲食店にはロシア人がたくさんいた。ケンタッキー・フライドチキンにもロシア語で注文できるカウンターがあった。田舎町の黒河には、ロシア人が清潔だと感じる飲食店はそれほど多くはないのだろう。



黒河の市内を歩くと、対岸のロシア・ブラゴベシチェンスクから多くの買い物客が来るようで、街中の看板にはキリル文字が併記されている。吉林省の琿春にも同じような看板があるが、あちらは中・朝・ロ3言語表記なので、中ロ2言語表示の看板は少し新鮮な感じがした。



市内の店の分布を見ると、明らかにロシア人買い物客を意識したと思われる店がいくつもあることに気がついた。ほとんどすべてが中国製だろうが、商品の陳列や店の雰囲気はロシア風、という店が結構あるようだ。下の写真の女性用下着屋さんなどは、中国人の入店を断る表示まであった。



こうしたこじゃれた店の他に、ロシアからの渡し船が着く黒河口岸の近くには、大型の市場「大黒河島国際商貿城」がある。ここは多くの個人事業主が小間ごとに入居する形の市場で、主にロシアからの買い物客を対象として商売をしている。

売っているものは食品、日用雑貨、衣類、自動車用品、DIY用品などさまざまで値段もそれほど高くはないようだった。私は中国人に見えるので、あちこち見て回ると、同業者の敵情調査に思われるようで、あちこちから鋭い視線が飛んできた。




このように現在の中国・黒龍江省黒河市とロシア・アムール州・ブラゴベシチェンスク市の間には、買い物客や観光客の往来を通じて密接な交流関係が形作られている。

旧ソ連の社会主義政権が崩壊したころは、中国からロシアへ商人が出かけていって、ブラゴベシチェンスクが中ロの民間貿易の中心になったこともあったようだ。

現在はロシア人の買い物客が圧倒的に多く、中国人は若干の商人が往復しているようだ。ロシアも中国も国境の行き来が盛んになるのを手放しでよろこんでいるわけではない側面もあるようだ。

中ソ対立が深刻だったころ、黒河は最前線で、いつソ連の攻撃を受けるかわからないところだった(これは吉林省の琿春も同じ)。それがソ連の社会主義政権崩壊後は、一転して中ロ間の貿易の中心となった。黒河は1858年に清とロシアが締結したアイグン(璦琿)条約が結ばれた地だ。国際関係を考えるときには、5年、10年といった短期の歴史だけでなく、数十年~100年の中期的な歴史、それ以上の長期的な歴史をも考えないといけないなと、黒河の街を歩きながら考えた。

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