2008年3月アーカイブ

平壌の2月後半は、まだ冬が終わっておらず、暖かくなったと思っても、寒の戻りが来ると相当寒い。ある日、目覚めると市内が異様に静かだった。窓の外を見ると、一面の雪景色だった。積雪は10センチ未満で、午後には道路上の雪はほぼ溶けたが、土が露出している部分や日陰の雪は、それから1週間くらい残っているところもあった。

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雪化粧をした平壌


平壌では、日本よりも明らかに雪の溶ける速度が遅かった。朝夕の気温が低く、一度溶けた雪がまた凍ることと、まだエネルギー事情が厳しく、化石燃料による熱の発生が少ないためであろう。

滞在中に、2月が終わり3月になった。数日しかたっていないのに、3月に入ると昼間の気温がかなり高くなり、10度を超える日も出てきた。それとともに、黄砂が飛来し、平壌市内でも視界が2キロを切る日もあった。春が来るのは嬉しいが、すべてが埃っぽくなってしまい、閉口した。

2008年2月26日、平壌時間の18:00から平壌市の東平壌大劇場で、ニューヨークフィルハーモニックオーケストラの平壌公演が行われた。当日、公演を観覧したいと朝鮮側のカウンターパートに要請していたのだが、ニューヨークフィルが朝鮮の人々、特に若い人々を優先的に招待したいという意向であったため、生放送となった朝鮮中央テレビでの鑑賞となった。

公演はまず、朝鮮の国歌である「愛国歌」からはじまり、米国国歌「星条旗」、ワーグナーのオペラ「ローエングリン」第3幕序曲、ドボルザーク交響曲第9番「新世界より」、ガーシュインの「パリのアメリカ人」、ビゼーの「アルルの女」からファランドール、バーンスタインのオペレッタ「キャンディード」序曲、最後に「アリラン」で終わった。

オーケストラの演奏が国歌から始まるということ自体が、この公演の政治的な性格を物語っている。とはいえ、朝鮮の国歌が米国のオーケストラによって演奏され、朝鮮の公式な場所でおそらくはじめて、米国国歌が演奏されたことは、米朝の関係改善が歴史的必然であることを聴衆に感じさせたのではないかと思う。

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米国国歌の演奏


私が今回平壌で会った人の多くが、この日の生放送を見逃すまいと家路を急いだそうだ。朝鮮国民のすべてがこの公演に興味を持ったかというと、おそらくそうではないだろうが、中央政府の官僚たちや知識人についていえば、かなり多くの人たちが、大なり小なり関心を持っていたことは確かだと思う。今回の公演は、少なくとも朝鮮のエリート層に対してはかなりの反響を呼んだと言っていいだろう。


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朝鮮の国旗とニューヨークフィルの面々

今回のニューヨークフィル平壌公演につづき、今年の秋には、朝鮮の国立交響楽団のロンドン公演が予定されている。欧州も米国に続き、芸術の面から朝鮮との交流を深めようとしている。学問や芸術を尊ぶ朝鮮の伝統を、関係改善に役立てようとしているのは、大変賢い戦略だ。

軍事的、外交的な対立の中でも、様々なチャネルを利用してメッセージを伝えようとしている米国や欧州と、朝鮮が核放棄への動きを見せつつある中でも、硬直的な対応しかとれていない日本のコントラストが次第に大きくなりつつある。

1990年代の後半まで、日本製品があふれていた平壌の街にも、最近は中国製品や韓国製品、欧州製品が増えてきている。日本との貿易が止まっているせいか、為替レートが急激に変化しつつあるせいか、平壌市内では日本円の受け取りを渋る店が増えてきた。朝鮮に対する日本の影響力の退潮は、はっきりした形で現れてきている。日本も将来的に朝鮮に対してどのようなスタンスで接していくのかをしっかりと考えて、行動しないといけない時期が来ている。

2008年2月23日~3月5日の間、訪朝した。今回は、平壌と開城、開城工業地区(開城工団)を訪問した。新潟から平壌までの経路は、ウラジオストク経由の空路が一番早い。しかし、週1便しか飛んでおらず、ロシアでのビザ取得にもいろいろと困難があるので、今回は往路は瀋陽~平壌の空路、復路は平壌~瀋陽の鉄道を選択した。

新潟から瀋陽までは、中国南方航空の哈爾浜経由、中国東方航空の上海経由、大韓航空のソウル経由の3つの経路が使える。最も一般的なのは、ソウル経由だ。

2月22日、新潟空港を出発して仁川に向かう。この日は新潟もソウルも寒かった。ソウルか瀋陽で1泊することになるのだが、今回はソウルで1泊した。

ソウル市内を早朝に出発し、仁川空港を朝8時20分に出る飛行機で瀋陽へ、瀋陽で6時間ほど時間をつぶし、平壌へと向かった。飛行機は相変わらずTu-134。昨年の夏には、An-18も就航していたことがあったので期待したが、昨年ウラジオストク~平壌を登場したのと同じ機種だった。

瀋陽から平壌までは約1時間。前日までの忙しい生活がたたり、離陸するやいなや寝てしまった。気がついたのは、離陸してずいぶんたってから。その後も寝てしまい、次に起きたのは平壌・順安空港に着陸してからだった。

順安空港には、高麗航空が昨年末に受領したと言われていた、ツポレフ204が休んでいた。20年ぶりの新機種導入だ。まだ実際の運行には投入されていないのかもしれないが、これが運行をはじめれば、安全性、乗り心地、荷物の収納など、いろいろな面で改善が見られるようになるだろう。また、この機種ならば騒音規制の問題などもクリアしているので、将来的に日本や西ヨーロッパ諸国にも乗り入れられる。

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高麗航空のツポレフ204

この日の平壌の気温はマイナス12度。瀋陽も寒かったが、平壌は風が強かった分、寒さを強く感じた。滞在期間中に、l気温は相当上昇し、春を迎えていくことになるのだが、2月後半の平壌は寒いから防寒対策に気をつけるようにと忠告してくれた人たちの言葉をこのとき思い出した。

前回の投稿と若干前後するが、スラビヤンカ~ウラジオストク間は、高速船を利用した。コメット号という高速船で、スラビヤンカの港から、ウラジオストクの36番埠頭(潜水艦S-56の近く)に到着する。


この船は、1時間で両都市を結ぶことになっているが、現実には気象条件でかなりの遅れが出ることもあるようだ。私が乗った日も、風が強く、ウラジオストクからスラビヤンカにやってきたコメット号は1時間半以上を遅れていた。スラビヤンカ経由で琿春まで行くお客が、バスの出発時刻に間に合わなかったので、途方に暮れた顔をしながら船から下りてくるのが見えた。

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コメット号の時刻表

ウラジオストクでは、宿泊していたホテルに街の情報誌が置いてあったので、それを情報源に街を歩き回った。ロシア語が不自由なので、北東アジアの他の街を歩くようには行かなかったが、それでも街歩きを楽しむことができた。


市内から空港までは、ウラジオストク駅前から、空港経由アルチョム行きのバス(540番)が運行されている。ウラジオストク航空のホームページなどでも、市内のバスターミナルからのバス時刻は掲載されているが、駅前からのバスについてはコメントなしである。タクシーだと約50ドルかかるところ、55ルーブルで空港まで行けるので、大変便利な交通機関なのだが。


空港からの詳しい時刻は、ウラジオストク空港に掲示されていたバス時刻表をご参照いただきたい。ウスリースクやナホトカ行きのバスもある。
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ウラジオストク空港の路線バス時刻表

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