2008年4月アーカイブ

今回の訪朝の帰り、平壌~瀋陽間で国際列車を利用した。現在、平壌発の国際列車は中国・北京行きが週4便とロシア・モスクワ行きが週1便運行されている。

traintkt200803-1.jpg
国際列車乗車券の表紙兼座席番号案内

北京行きは月、水、木、土曜日の10時10分に平壌を出発し、翌日の08時29分に北京に到着する。

平壌発月曜と木曜が朝鮮鉄道の車両で中国製の中国鉄道25K型相当で空調用ディーゼルエンジンを搭載したエアコン付き車両(ただし暖房は石炭)を利用している。水曜と土曜は中国鉄道の車両で、ドイツ製(旧東独)の18型車両を使用している(エアコンなし)。一般的には上級寝台(軟臥)と一般寝台(硬臥)がそれぞれ1両だが、多客期には平壌~丹東間で朝鮮鉄道の寝台車が1両増結されることもある。いずれも、各国内では国内列車に併結される。

モスクワ行きは土曜日の10時10分に平壌を出発し、翌週の金曜日の17時57分にモスクワに到着する。ロシア鉄道の車両で平壌~瀋陽間は平壌発北京行きの国際列車に併結され、瀋陽駅で一晩過ごした後、北京から来るモスクワ行き国際列車(中国国内ではK19)に併結され、モスクワに向かう。

traintkt200803-2.jpg
国際列車乗車券(乗車券部分)


traintkt200803-3.jpg
国際列車乗車券(寝台券部分)


今回は、水曜日発の列車を利用したので、中国鉄道の車両だった。各車両の乗降口に立っている乗務員(中国人)にきっぷを見せて車両に乗り込む。中国人らしくないからか、中国語で「朝鮮人か」と聞いてくるので、「日本人だ」と答えると、「日本人!!」と絶句していた。日朝関係がこんなに悪化しているのに、平壌に来ている日本人は珍しいのだろう。今回、軟臥車の4人用コンパートメントに同席したのは、中国・河南省からやってきたエンジニアの2人連れだった。

平壌駅を10時10分に出発した、「赤旗号」電気機関車牽引の国際列車は、平壌市内では比較的ゆっくり走るが、郊外に出ると時速80キロくらいで走るところもある。平壌を出た列車は途中、新安州、定州、宣川、塩州に止まり、新義州には15時15分に到着することになっている。

昼食時には、久しぶりに食堂車を利用した。久しぶり、というのは、コンパートメントに同席する人が朝鮮人だった場合、たいてい大量のお弁当(おかずとご飯、ビール、焼酎etc.)を用意していて、高い食堂車なんかに食べに行かずに一緒に食べよう!と誘ってくれるからだ。

食堂車は国内列車との境に連結されていて、どちらからでも来ることができるようになっている。メニューは定食が5ユーロだ。鶏肉、魚のフライ、豚肉料理、野菜料理など5品で、キムチとご飯、スープが付く。味は素朴で結構美味しい。ただ、車両の整備状況が悪いせいか、中国鉄道の車両よりはよく揺れた。この日は、以前食堂車で食事をしたときよりも速度を上げて走っていたようだった。

traintkt200803-4.jpg
国際列車乗車券の裏表紙

これは前からであるが、平壌の凱旋門がライトアップされているのは、大変美しい光景だった。モランボンの丘を越えるところにある千里馬銅像もライトアップされていたが、こちらは写真をとりそこねた。千里馬銅像のライトアップは最近始まったそうだ。写真の右下に写っているのは、モランボンの丘につながる道路の両脇に立っている街路樹に施した電球だ。

20080203kaesonmun.jpg
ライトアップされた凱旋門をモランボンの丘から望む

そのほか、金日成広場を見下ろすように建っている人民大学習堂(中央図書館)も、きれいにライトアップされていた。2月下旬の夜の平壌は相当寒かった。おそらく氷点下5度くらいまで下がっていたのではないかと思う。そのかわり空気は澄んでいて、平壌の夜景がきれいに見えた。

20080203inmindaehaksubdang.jpg
ライトアップされた人民大学習堂を金日成広場から望む

こういう風景を愛でると、今の日本では「電力が不足しているのにもかかわらず、こうやってライトアップしているのは体制宣伝のためだ。それを無自覚に愛でるとは何事だ」という反応をする人もいるだろう。しかし、朝鮮の人たちがそうした方が街がきれいに見えると思っているのも事実だ。この写真を撮ったのは夜の22時過ぎだが、私が特に夜景を見ることを希望したわけではない。案内人が夜景がきれいだから見に行こうと誘ってくれた。私はきれいなものを見せてやろうと連れ出してくれた案内人たちに、そういう無粋なことを言う神経は持ち合わせていないので、みんなで記念撮影をし、2008年春の訪朝の記念品とした。

平壌市内でこれだけきれいな夜景を見たのは、1996年の初訪朝以来12回の訪問で初めてだった。宣伝のためかもしれないが、ここまでライトアップできるようになったのは、朝鮮経済ことに電力事情が好転しているためではないかと思われる。

今回の訪朝で、以前と変わったところを挙げてみると、平壌大劇場の正面に高輝度のディスプレイが装備され、平壌の夜景に色を添えるようになったことであろうか。平壌大劇場は、「ピバダ歌劇団」が公演を行うことで有名な、歴史のある劇場だ。

daegugjang.jpg
平壌大劇場の大スクリーン

滞在中、「花を売る乙女」の公演を平壌大劇場で見た。劇場内は9割くらいの人の入りだった。2月後半でまだ寒かったが、暖房は入っていなかった。街のあちこちで模様替えが行われ、経済回復が実感できるなかでも、エネルギー事情はかなり厳しいということだろう。そのような状況の中でも、地下道のLED照明や電球型蛍光灯の導入など、科学技術を生かして、生活の質を落とさずにエネルギー消費を抑制する政策が採られている。


kkgavenue200803.jpg
クムガン通りの建設予想図

その他の変化といえば、平壌市の楽浪区域、統一通り市場の大同江畔の区画に「クムガン通り(KKG Avenue)」というホテルを中心とした一連のサービス施設が建設されようとしていることだろうか。「金剛経済開発総会社」という会社が施工主になっている。

kkgsite200803.jpg
クムガン通りの建設工事現場

案内人の話によると、香港資本だそうだ。開発予想図を見ていると、大同江の中州である羊角島にまで橋を架けるなどかなり大規模な開発になるようだ。この完成予想図のうち、どこが建設されるのかははっきりわからないが、実際に工事は始まっており、ダンプや重機が動いていた。平壌の人たちにとっては、このような大型の投資案件が動き始めていることが、経済の回復基調とも相まって、自信につながっているようであった。

2007年12月11日から南北間を往来する貨物列車が運行を開始した。その姿を見たいと思い、開城工業地区参観の際に鉄道駅を見たいという希望を出しておいたのだが、駅は地区の外にあるため、出入りの手続が煩雑だということで、地区の端にある汚水処理場の前から、駅を見せてもらった。昨年12月から運行しているムンサン~板門間の貨物列車が、南側の機関車と緩急車の2両編成で停車していた。

200803kaesong04.jpg
板門駅


200803kaesong05.jpg
板門駅に停車するムンサン行き貨物列車(ただし、荷物なし)

昨年12月の開通直後に、韓国の専門家が、ソウルから70キロしか離れていないという地理的条件から、ほとんどの荷物がトラックで運ばれるため、貨物は非常に少ないだろうと予想していた。案の定、この日も貨物はなく、列車だけが往復する、南北鉄道運行の練習のような運用だった。

ほぼ空の列車を日曜を除く毎日運転している韓国鉄道と朝鮮鉄道、高圧送電線を建設したコストを電気料金に転嫁していない韓国電力、アパート型工場を新設している開城工業地区管理委員会など、開城工業地区の事業はインフラ面で見るとかなりの外部資金(特に南側の政府・公共部門から)が投入されている。それを「無駄」と考えるか、将来のための「投資」と考えるかで、開城工業地区に対する評価も変わってくる。

今回の参観を通じて、現代峨山開城事業所や見学した工場内で南北の人々が以前にも増してうち解けている姿を見た。3年以上にわたる戦争で、同じ民族が殺し合うという悲劇を経験した南北がここまで来られたのは、南北双方の人々の仲良く暮らしていきたいという気持ちとそれを実現しようとする政治家の熱意、その結果としての投資に支えられてきたのだと感じた。

開城工業地区に現在流れている、うち解けた雰囲気は、自然発生的に生まれたものではなく、これまでの10年間、南北双方が意識的に努力して作り出してきたものであり、南北双方にとっての貴重な「公共財」だ。

2008年3月3日、韓国国内市場向け衣料品を製造する「シンウォン」の工場を見学した。

2008kaesong_shinwon01.jpg
シンウォン開城工場

この工場は、2005年2月に生産を開始し、5つのラインで340名の労働者で操業を開始したとのこと。現在では、15のラインで北側880名、南側10名の人員を使って操業しているとのことだった。2008年2月現在で同社の韓国国内市場向け商品の14%、シンウォン全体の7%を開城で生産しているそうだ。現在の工場の敷地はモデル団地区域の2,500坪(約8,260平方メートル)だが、すでに第1段階の本団地に10,000坪(約3万3,000平方メートル)の敷地を確保済みで、2008年4月に工場建設を開始し、09年3月頃までに32ラインを持つ工場が完成する予定とのことだった。

完成後は、総人員が3,200名にまで増加する予定とのこと。すでに操業開始後3年を経過している工場だけあって、女性が9割以上を占める職場では、労働者がきびきびと働いていた。工場は全館禁煙で、建物の外にある喫煙スペース以外での喫煙は禁止されているとのことだった。その喫煙スペースで、南側と北側の労働者2名ずつが仲良く煙草を吸っているのを見た。

2005年11月にはじめて開城工業地区を訪問したときには、南北の人々の間にはまだ緊張感が残っていたように思うが、今回の訪問ではいろいろな場所で、南北の人々がリラックスした態度で接しているのが印象的だった。

2008kaesong_shinwon02.jpg
シンウォン開城工場の自転車置き場と労働者の通勤用自転車

現代峨山の事業所を後にして、次にアパート型工場の新築工事現場を見学した。アパート型工場とは、事業者が先に工場を建設し、入居者に貸し付ける形の貸し工場のことだ。新築工事現場では、南側から搬入された機材や資材を利用して建設工事が行われていた。鉄筋コンクリートを打つときの鉄枠などは、すべて南側から搬入し、使い終わればまた搬出するとのこと。南北交易統計で、鉄製の構造物の搬出入が多いことが気になっていたが、現場に積まれた大量の鉄製の枠を見て、納得した。

200803kaesong02.jpg
アパート型工場の新築工事看板

200803kaesong03.jpg
アパート型工場の新築工事現場

2008年3月3日、開城工業地区(開城工団)を訪問した。同地区は、南側からの人員も出入りする特別な地域のため、国内の他地域からの出入りには制限がある。地区の入り口で、今度は正式に地区入りのための手続を行う。ここで手続のために20分ほど待つ。

地区に入ると、昨年3月に訪問した時には建設予定とされていた技術教育センターが完成していた。基盤施設は基本的にすべて完成していると報じられていたが、実際にかなり多くの建物が完成していた。

まず、現代峨山開城事業所を訪問し、キム・チョルスン所長より地区開発の現状について説明を受けた。地区の第1段階は2008年末頃にはほぼ入居企業の工場が竣工し、生産を開始する予定であるそうだ。また、第2段階の工事についても、2007年の末頃から地質調査を中心とする基本調査に入っており、2008年4月には調査が終了するとのこと。その後、3~4カ月で設計が終了し、韓国政府との交渉の後、予算を確保した後、2008年末から工事に入る見込みでいるとのことだった。

200803kaesong01.jpg
現代峨山事務所内にある完成予想図。ブルーが第1段階、オレンジが第2段階を示す

第2段階の150万坪(約4.96平方キロメートル)の用地を造成し、インフラ施設を完備するには、少なくとも2~3年はかかるとのことだった。150万坪すべてではなく、段階的に造成を行えば、第1段階で利用しているインフラを共用しながら、早い時期に供用開始できる部分もあるとの見込みを持っているとの説明だった。