2008年6月、中ロ国境の旅(その3)

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ブラゴベシチェンスクからハバロフスクへやってきた。

ハバロフスクは極東の首都ともいえる場所で、1858年に東進してきたロシア軍の監視所ができたのが街の歴史の始まりとされている。ウラジオストクができたのが1860年に締結した北京条約の後だったので、こちらの方が歴史は古い。





教会広場にあるのがウスペンスキー教会。スターリン時代に破壊された教会を2001年に再建したもののようだ。どおりで建物が新しい。教会広場からウスリー川を見ると、滔々と流れる川の姿が見事だ。



街のメインストリートになるのがレーニン広場とアムール川沿いの教会広場を結ぶムラヴィヨフ・アムールスキ-通り。ショッピングストリートにもなっていて、国際的なブランドショップも並んでいる。ウラジオのどこかくたびれた雰囲気に比べて、ハバロフスクにはヨーロッパの街独特の小綺麗さがあるように感じた。道行く人の雰囲気もハバロフスクが極東では一番ウラジオストクやウスリースクよりも洗練されているように思う。


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ハバロフスク駅前には、この地を探検した17世紀のロシアの探検家エロフェイ・ハバロフの銅像がある。駅前はバスや路面電車のターミナルとなっており、ひっきりなしに人が行き来する。





初夏とはいえ、すでに気温が30度を超える日もある6月のハバロフスクでは、人々は真夏の格好になっていた。ホテル部屋の冷房がこんなにありがたいと感じたのは、久しぶりだった。それも東南アジアではなく、こんな北でそういうことになるとはあまり考えていなかった。大陸性気候というのはとても大味だ。そこに住む人には、それに翻弄されないような精神力が備わるのだろう。



ハバロフスクからは中国・黒龍江省の東北部にある撫遠へと船で出国することにした。このルートは外国人にも開放されているルートだが、ほとんどのお客はハバロフスクから日帰り観光をするロシア人だ。そのため、船の料金は、ガイド料込みのツアー価格で設定されており、それが約3250ルーブル(約15000円)。




船着き場付近の旅行社(コンテナハウスに入っている)を訪れ、片道運賃を計算してもらう。パスポートを見せ、中国のビザがあることを確認され(日本人はノービザ滞在できるのだが、信じてもらえないケースが多々あるので、私はマルチプルのビザを取得している)、旅行社の係員がどこかに電話をしていた。結局、1800ルーブル(約8100円)となった。お金を払い、切符とはいえない(ツアーの一部参加のようになるので)メモを渡され、切符の購入は15分ほどで終わった。

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