2008年6月、中ロ国境の旅(その4)

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いよいよ、ハバロフスクから中国・黒龍江省・佳木斯市の撫遠鎮へと出発する日がきた。

旅行社で買った切符に記載された集合時刻(本来は撫遠ツアーの集合時刻)に船着き場に行く。旅行社で切符を見せると、顔を覚えていたのか英語で「少し待ってね」と言われる。

旅行社のコンテナハウスの前で待つこと約30分、ツアーガイドとおぼしき人がやってきてロシア語で何か話し出す。コンテナハウスの前で待っていたロシア人が一斉に乗り場に向かうので、出発だと思いコンテナハウスを見ると旅行社の係員が頷いている。

ツアーのロシア人の後について、船着き場に入る。改札口のような場所があり、一人一人に乗船省が手渡される。船は何隻か出発するので、別の船に乗ってしまわないようにするためだろう。

出入国施設は埠頭の先の浮き桟橋に設置されている。税関検査(出国時はほとんどフリーパス)と出入国審査(内務省のカウンターは無人だった)があり、船ごとに審査を行うために、前のグループが審査を受ける間、待機する。

われわれの船の審査が始まった。ロシア人の出国はそれほど時間がかからないが、中国人は念入りに審査をされている。日本人はどれくらいの時間がかかるのだろう。

審査の番が回ってきた。ブラゴベシチェンスクの入国の時には、増補部分の有効性確認のためにずいぶん待たされたので、今回もそういう目に遭うかもしれないと思うと少し緊張する。

結局、審査は3分ほどで終わった。特に調べるべきことはなかったようで、端末を操作して何かを入力したあと、少し待ってから出国のスタンプを押してくれた。おそらくロシアでは速いほうに入るのだろう。

日本(日本人と特別永住者は速いが、外国人には評判の悪い指紋採取と写真撮影があるのでかなり時間がかかる。アメリカやイギリス並みにいやな感じだと思う)や韓国、香港、台湾、中国それに日本のパスポートを見るとほとんど何もしないでスタンプを押してくれるフランスやイタリアなどの迅速な審査(ちなみにドイツはしかめっ面で顔の確認はする。イギリスは人によっては結構時間がかかる。アメリカは指紋採取と写真撮影があるので速くしても時間がかかる)になれていると、これくらいのスピードでも遅く感じるが、それでも時間がかかると悪評が高かったソ連時代よりはずいぶんと速くなったのだろう。

出国審査終了後、同じ船に乗る人たちの出国審査の終了を待ち、乗船する。船はロシア船籍でロシア製の水中翼船だった。乗船後、しばらくして船はゆっくりとハバロフスクの河港を離れた。


河港を出ると、船は次第に速度を上げながらウスリー川(松花江)を遡上していく。ウスリー川の本流はロシア領側にあるので、両岸はまだロシア領だろう。船はかなりのスピードで走っている。途中で巨大な送電鉄塔が見えてきた。ということはまだロシア領内を通過していることになるのだろう。


出発から約1時間20分ほどが経過し、船が速度を落とし始めた。対岸を見ると緑色の耕作地が見える。中ロ国境でどちらが中国でどちらがロシアかを見極める簡単な方法として、工作されていればそこは中国、というのがある。中国の東北部は巨大だが、平地はほとんどが耕作地になっている。ロシアは一部に耕作地があるものの、国境地帯は荒れ地か森林地帯が多い。

船はゆっくりと撫遠の船着き場に入っていく。岸には五星紅旗がはためく建物がある。上陸してみると「撫遠口岸」と書いてある。辺境の国境ではあるが、大変立派な建物だ。この後、とんだハプニングに見舞われることを知らないまま、税関の建物へと進んでいった。


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