2008年11月アーカイブ

バスターミナルで国際バスの時刻を調べた後、ウスリースクの名所?まわりをすることにした。ウスリースクには「中国市場」と呼ばれる、中国製品を主に扱う市場がある。噂には聞いていたが、どんな所か分からないので行ってみることにした。

バスターミナルから、先ほどバスを降りた街の繁華街に戻り、中国市場行きのバスを探す。本当にあるかどうか分からないが、有名な市場で市民の利用も多いようなので、おそらくある、と見当をつけてみただけだ。

止まっているバスを見ると、それらしき行き先が書かれたバスがあった。が、行き先を読んでいる間にバスが出て行ってしまった。待つこと3分、別のバスがやってきた。そのバスもどうやら中国市場を経由するようだ。

とりあえずバスに乗る。車掌さんにロシア語で「中国市場」と書いたメモを見せると、頷いてくれた。おそらく大丈夫だろう。バスはウスリースクの目抜き通りを北へ北へと進んでいく。20分くらい経っただろうか、車掌さんが「ここで降りろ」という身振りをしてくれた。

指示されたバス停で降りるとき、高麗人(朝鮮系ロシア人)とおぼしき人が何人かバスを待っているのを見た。おそらく、この近くに市場があるのだろう。同じバス停で降りた人たちは一様に同じ方向に向かって歩き出す。人の流れに付いていくと、ロシアと中国の国旗をあしらった看板が見えてきた。どうやら目的地は近いらしい。




看板を過ぎて少し行くと人々が東に向けて道を曲がっていく。どうも、そちらが中国市場の方向のようだ。同じ角を曲がると、なにやら市場らしきものが見えてきた。






市場の中は商品であふれかえっていた。商品のほとんどすべてが中国製品のようだった。売っている人は中国人あり、高麗人あり、ロシア人ありと多彩だった。中国から来ている人たちを見ると、黒龍江あたりからきているとおぼしき北方人が多かった。多くの人が苦労が顔に出ていた。こうやって一生懸命働く人と、アフターファイブは家族と一緒にのんびり過ごしたいという現地のロシア人との間には、労働文化の面で大きな差があると感じた。そしてその「差」が中国人に対するある意味での恐怖心につながっているのかなと思った。




とはいえ、ウスリースクの人々にとっては、中国市場で売られている商品(値段は安いそうだ)は生活にはなくてはならないもののようだ。また、極東の他の街から買い出しに来る人もいるそうで、ウスリースクの中国市場は小売りだけでなく卸売り機能も兼ね備えた市場と言うことができるだろう。




ウスリースクでは、見ず知らずの(中国人とおぼしき)外国人に親切に道を教えてくれるなど、ロシアの政策から感じる中国人に対する警戒心を直接感じることはなかった。もちろんこれは旅行者の目から見た感じなので、現地に暮らしてみないと分からないこともあろう。

このような市場に身近に接している人たちにとっては、中国市場やそこで働く中国人は問題を抱えているかも知れないが、同時に自分たちの生活になくてはならないものであるという認識があるのだろう。それが、沿海地方政府のあるウラジオストク、極東管区大統領全県代表のいるハバロフスク(ただしハバロフスク自体は中国国境からすぐだが)、モスクワと距離が離れていくにつれて、問題や恐怖心だけが伝わるようになるのではないかと思った。


最後に、中国市場に行ってみたい人のために場所をお知らせします。


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ウスリースクのバスターミナルで最初にしたことは、中国行き国際バスの時刻を調べることだった。

沿海地方随一の対中国交通ジャンクションであるウスリースクからは、中国の黒龍江省各地と吉林省(琿春経由延吉行き)のバスが発車している。

上の写真の通り(光が反射しているので、別の角度からとった2枚を貼り込んである)、ウスリースクからはハルビン、牡丹江、綏芬河、東寧、鶏西、琿春、延吉にバスが出ている(日本人がバスに乗って中ロ国境を越える場合、綏芬河と琿春、鶏西は問題ないが、東寧行きには乗れない。東寧の国境は中国人とロシア人のみ通過可能で、第3国人は通過不可能だ)。

番号 出発地 経由地 目的地 発車時刻
805 ウスリースク   牡丹江 8:30  
805 ウラジオストク ウスリースク 牡丹江 10:40  
807 ウスリースク   綏芬河 7:40 12:10
808 ウスリースク   東寧 9:50 16:30
810 ウスリースク 琿春 延吉 8:00  
812 ウラジオストク 綏芬河 ハルビン 8:20  
813 ウラジオストク 東寧 ハルビン 8:50  
814 ウスリースク   鶏西 8:10  

ちなみにバスの運賃だが、これは結構高い。近距離でも1050ルーブル(約4200円)を下回るものはない。ウラジオストク~ハルビンでも2000ルーブル(約8000円)なので、700ルーブル位は出入国に関連する費用ではないかと推測される。

ちなみに、中国からロシアに向かう国際バスの料金は、ロシアで買う値段の6割程度だ。福岡~釜山のビートル号なども日本で買う方が高いから、ロシアの方が物価も高いので、このような値段設定になるのだろう。



帰りのきっぷを買わないといけないのだが、綏芬河に抜けるか、鶏西に向かうか、それとも同じ道を戻って延吉に向かうかで迷った。帰りの飛行機は延吉発なので、黒龍江省に出てしまうと、延吉に戻るのが大変だからだ。黒龍江省内は比較的高速道路が完備されているが、黒龍江省から、延吉へ向かう道は普通の国道しかない。

結局、この日は結論を出すのをやめて市内の探検に向かうことにした。

ウスリースクホテルまでバスの運転手さんに送ってもらい、チェックインするために中に入った。予約は特にしていなかったので、部屋があるかどうか少し不安だった。

フロントで「3泊したいのだが、部屋はあるか」と尋ねると、部屋はあるとのこと。ただし、ここのホテルでは外国人登録ができないので、2泊しか泊めてあげられない、という。

仕方がないので、とりあえず2泊泊まることにして、チェックインをした。今日は土曜日なので、チェックアウトは月曜。月曜になんとか外国人登録すればいいや、と考えた。

ホテルは1泊1450ルーブルで、部屋は清潔。ベッドが少し柔らかいのが気になったが、まぁ許せる範囲だった。シャワーを浴び、今日は朝から、延吉~琿春~スラビヤンカ~ウスリースクと距離はそれほど長くはないが、大変な旅だったなぁと思い返しながら、ベッドに入る。


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翌朝、早速ウスリースク探検に出る。ウスリースクの街は初めてなので、とりあえずバスターミナルと市場、スーパーマーケットを探すことにする。バスターミナルを探さないことには、ウスリースクから出ることができないし、市場やスーパーマーケットで水や移動中の食事を調達しないといけないから。

ホテルの斜め向かいにバス停があるので、とりあえずバスの運行システムを確認する。バスの車体に行き先が書いてあるので、バスターミナルに行きそうなバスに目星をつけて、車掌さんに「バスターミナル?」と尋ねてみる。うなずくのでそのバスに乗ってみた。

3分ほど走っただろうか、バスは街中の商店が多い通りに止まった。車掌さんが「降りろ」と指示する。ただ、降りたところにバスターミナルとおぼしき建物はなかった。困っていると、同じバスを降りた乗客が「バスターミナル」と言って遠くを指さす。「付いてこい」という身振りをするので、付いていくと、バスターミナルはバス停から歩いて2分ほどのところにあった。

この乗客のおじさん、私にロシア語で「中国人?」と聞いてきた。「日本人だよ」と答えると、「ふーん」と言うだけ。無口だけど親切なおじさんだった。バスターミナルの前でお礼を言って別れる。

バスターミナルに入って、まずは帰りの中国行き国際バスの時刻と運賃を調べることにする。それから、次回以降の訪問に備えて、ウスリースクからの国内線バスの時刻も調べておこう。

バスは長い間田舎道を走り、途中から、ウラジオストク~ハバロフスク間の連邦道路(国道)に入った。バスに乗ってから約2時間半後、ウスリースクの街の光が見え始めた。それほど大きな街ではないのだが、ずっと田舎を走ってきたので、街の光がすごく美しく見えた。

バスはウスリースク市内を回りながら乗客を降ろしていく。バスターミナルらしきところで、他の客はみんな降りた。私は「ウスリースクホテルに行く」と運転手さんに言ってみた。運転手さんは手振りで「乗っていろ」と合図する。

バスターミナルから10分弱走っただろうか。バスは暗い広場に吸い込まれていく。一体ここはどこなんだろう、と思い外を見ると、バスが何台も止まっていた。どうやら、そこはバスの車庫のようだった。

運転手さんはバスを止めると、私に「こっちに来い」と手招きする。言われるとおりに付いていくと、運転手さんが乗用車のエンジンをリモートでかけ(日本車)、ドアを開けてくれた。「ここで待っていろ」とジェスチャーで教えてくれる。

暖房の効いた車の中で(5月だが気温は12度くらい)運転手さんが帰ってくるのを待つ。20分ほど待っただろうか。少し不安になったころ、運転手さんが戻ってきた。

運転手さんは、ウスリースクの街の中へと車を進めた。大通りに入り少し進んだとき、車が止まった。道路際の建物を指さして、「ホテル」と言った。どうやらここが今晩泊まることにしたウスリースクホテルのようだった。

運転手さんに片言のロシア語でお礼を言い、握手をして分かれた。

今日は、スラビヤンカとウスリースクでロシア人の親切のおかげで救われた。


ロシア人は親切だが、ロシアの制度は大変だ。この後トラブルが起こることを知らず、ロシア人の親切に感激しながら、まずはホテルにチェックイン、と思いホテルに入った。

琿春のバスターミナルを13時に出発したバスは、20分ほどで中国側の国境検査場(琿春口岸)に到着した。荷物をすべて持って、検査場の建物の中に入る。通関と出国審査はバスごとに行うことになっているので、先客のスラビヤンカからの買い物ツアーバスの乗客の検査を10分ほど待ってから、路線バスの客の検査へとうつる。

税関は、大量の荷物を持っていない限り、荷物をX線検査機に通して終わりとなる。かかる時間は1分くらいだろうか。出国審査も審査自体は30秒ほどで終了する。効率性という意味では、琿春口岸はしっかりしている部類に属する。

出国審査を終え、バスのトランクに荷物を戻し、座席に着く。出発から1時間もたっていない13時50分、バスはロシアへ向けて出発した。

琿春の口岸から国境までは約100メートル、両国の国旗が並んで経つ国境線を越えると、すぐにロシア側の検問所がある。ここで、まずは検問を受ける。前にバスがいたので、ここで通過待ちに20分ほど待つ。出入国検査と税関検査はバスごとに行うので、前のバスが検査を終えるまでは待たないといけないので、ここで順番待ちの行列となる。

検問所をこえ、次は検疫ポストで停車。タイヤに消毒液をかけて消毒となる。出入国検査と税関検査を行う建物はもう見えている。検疫ポストはすぐに出発し、出入国検査と税関検査を行う建物の手前で前のバスを待って15分ほど停車。前のバスが、お客を乗せるために移動した後、われわれのバスが、建物に到着する。

出入国検査は国境警備隊によるパスポートとビザの審査(スタンプを押してくれる)と出入国管理局(こちらは内務省)の検査の2段階ある。まず、国境警備隊の方から出入国カードをもらって、記入。ロシア人はどんどん検査が進んでいくが、外国人は出入国カードをもらい、記入する時点で遅れてしまう。でも、バスは最後の一人を乗せるまで出発しないので焦る必要はない。

出入国カードを記入後、審査の列に並ぶ。ここ、クラスキノは日本人も割合多く通過(中国人と韓国人が多いが)するので、審査自体は割合スムーズだ。5分もかからず審査完了で、次に出入国管理局のカウンターに行ってスタンプを押してもらったパスポートと出入国カードを見せる。1分ほどで登録完了し、次は税関検査。X線検査機に荷物を通して、おしまい。係官から持っている外貨の金額を聞かれるが、全部で~ドル相当、と言うとそのまま通してくれた。

普通はこれで手続完了となるのだが、クラスキノでは次に保険の購入をさせられる。数日の滞在だと150ルーブル。怪我や病気の場合、ロシアの負担にならないように購入しなければならない。これは、ロシアが認めている日本の保険会社発行の保険証書を持っていればおそらく保険は購入しなくてもよいのだろうが、私はいつもクレジットカード付帯の保険を使っているので、ここではおとなしく保険を買うことにする。

保険を買う手続は2分ほどで終了し、保険証券をもらう。それから10分ほど、他の乗客の手続が済むのを待ってバスは再度出発した。

建物を出てすぐに検問所。ここで数分停車の後、バスはクラスキノの町に向けて出発した。クラスキノまでは15分ほど。ピンク色の建物のホテルの脇に停車した後、次の停車駅のスラビヤンカに向かう。

出入国検査をする建物から、クラスキノ経由スラビヤンカまでは全区間舗装道路だ。車や人が行き交う中国の道から、ひたすら草原の中を走るロシアの道に入ると、人口密度が下がったことを実感する。

19時20分ころにスラビヤンカに到着した。しかし、ウスリースク行きのバスは19時00分にすでに出発していた。国境で前のバスを待ったためにぎりぎりで乗り継ぎができない時間についてしまったのだ。ウスリースクまで行く客は普通、朝の延吉発琿春経由ウスリースク行きのバスに乗るので、スラビヤンカでの接続は特に考えられていない。


途方に暮れていると、同じバスに乗ってきたロシア人が、「友人が自分をウラジオストクまで送ってくれるから、お前も乗っていけ」という旨のことを(おそらく)ロシア語で言ってきた。私はロシア語がほとんどできないので、困っていると時計の8時のところを指さして、「ここで待っていろ」という仕草をする。20時に待ち合わせをしているのだと思って、うなずくと、件のロシア人は外に出ていった。

もし乗せていってもらえなかったら、ホテル探しをしないといけないな、と不安に思いながら待っていると、20時少し前に件のロシア人が登場。彼の友人の車に同乗させてもらうことになった。

私はもともとウスリースクに行きたいのだが、彼らはウラジオストクまで行くという。時間的にウラジオストクに着いてから同日中にウスリースクまで行くのは無理だなと思いながら、「ウスリースクに行きたいんだけど、時間がないからウラジオストクまで行って、1泊してからウスリースクに行く」ということを片言の英語で伝える。

何とか理解してもらったようで、車は一路ウラジオストクに向けて走り出した。スラビヤンカからウラジオストクとウスリースクはウスリースクの少し手前まで同じ道を行くことになる。途中、非舗装区間や道路整備のために工事現場となっている区間を通過する。かなり揺れる。車は日本製の状態のよい中古車なので、それほど怖くはなかった。

かなりのスピード(120キロくらい)で田舎道を飛ばしていると、前方にバスが止まっているのが見えた。運転していた男が「ウスリースク、ウラジオストク」と尋ねるので「ウスリースク」と答えると、バスに乗れと言う。バスの運転手に「この日本人はウスリースクまで行きたいと言っている」らしきことを言ってくれた。

バスは韓国製の中古車で、高校生とおぼしき乗客が6人くらい乗っていた。スラビヤンカを19時に出たウスリースク行きのバスだった。バスに乗り、一路ウスリースクへ向かう。とりあえずバスに乗ってしまえば、ウスリースクまではいけるだろうと安心し、暖房の効いたバスの中で眠りに吸い込まれた。