朝鮮半島問題の最近のブログ記事

2009年4月5日の朝鮮によるロケットの発射で日本がロケットの針路の下となった。ロケットが落下したり、ブースターの切り離しがうまく行かなかったりした場合に日本の陸上に落ちる可能性もわずかながらあった。針路にあたる地方の人々が不安感を持ったのは事実だ。その点で日本にとっては迷惑なロケットだった。

日本がこの迷惑に対して、朝鮮に抗議することは当然のことだと思う(ただ、朝鮮の人々は植民地支配を前後して、日本にもっと大きな被害を受けたと思っているので、この程度の迷惑に対して謝ろうという気は起こらないだろうが)。

日本の報道では今回のロケットを「弾道ミサイル」として、日本に対する軍事的攻撃のように報道したが、日本を射程に入れてすでに配備されているといわれるノドンミサイルと異なり、こちらはミサイルとして利用されたとしても、米国領土を射程に入れることを目的として生産されているものであり、日本に対する脅威はそれほど大きくはない。

今回の日本を標的としたミサイルでもないロケットの発射(日米韓はミサイルと主張するが、国により受け止め方は異なる)によって、日本が高度な軍事的脅威にさらされたかといえばそうではない。日本での朝鮮のロケット発射に対する反応や議論は、日本に対する迷惑に対する怒りと、北東アジアの軍事的緊張を激化させた行動に対する対応、日朝交渉がうまくいかないことに対するいらだちなどがごちゃ混ぜになっている。


では、なぜ朝鮮はロケットを発射したのか。朝鮮が核兵器や弾道ミサイルを開発する最も大きな理由は、米朝関係が正常化されていないためだ。米朝関係が改善され、北東アジアにおける冷戦構造が消滅することこそが朝鮮が望んでいることだ(もちろん、それ以外にもいろいろな目算があろうことは推測できる)。

朝鮮によるロケットの発射は、米国に対する挑発であり、北東アジアの安全保障にとってよい影響を与えないことは明白で、中国やロシアも発射を歓迎しているわけではない。朝鮮は国際的な孤立というリスクをとってロケットを発射したわけだ。朝鮮は懸命に米国の対朝鮮敵視政策の転換と米朝国交正常化、朝鮮戦争休戦協定の平和協定への転換を求めているといえる。

さまざまな報道を総合すると、米国は自国発の世界経済危機への対応、イラク戦争終結への道筋、「テロとの戦い」とアフガニスタン情勢、中東問題、核軍縮の進展と米国が行わなければならない内政上、外交上の課題は多い。その中で、朝鮮半島問題の優先度が政権発足当初よりかなり落ちてきている。そこで、ロケットを発射することにより、この優先度を高めようとしていると言われている。


国内的事情に目をやると、今日、金正日政権第3期目の第12期最高人民会議第1回大会が開かれ、金正日総書記は再び国防委員長に推戴された。経済政策では科学技術、特にITやハイテクを重視し、2012年には「強盛大国の大門を開く」とのスローガンで生産正常化から経済成長路線への離陸を図ろうとしている朝鮮にとって、米国の敵視政策にもかかわらず、独自の技術で第2回目の衛星発射に成功したという実績をアピールすることは、「自力更生」で高い経済目標を達成しなければならない国民に将来への期待を高めさせるという点で必要なことであったと思われる。

そのためか、米国もロシアも衛星の軌道投入は認められない(失敗した)としているにもかかわらず、朝鮮は朝鮮中央通信を通じて、人工衛星の軌道投入が成功したと報じている(中国は自らの論評は行わず、朝鮮の報道を引用する形で、朝鮮のメンツを保っているようだ)。

前回の「光明星1号」(テポドン1号)は1998年8月31日に発射されたが、その直後の9月5日に金正日政権の正式とスタートとなる最高人民会議第10期第1回会議の開催が予定されていた。この会議では1992年の改正以降6年ぶりに憲法改正が行われ、金日成時代の行政システムを改編する大規模な行政改革が行われた。

今回は、厳しい国際情勢の中、大規模な憲法改正など抜本的な指導体系の変更につながる機構改革は行われないであろうが、韓国の宣伝ビラや貿易や親族訪問を通じて中国などから伝えられ、国民の間に噂として広まっているとされる金正日総書記の健康問題など、国民の動揺を抑え、晴れ晴れとした気持ちで新たな最高人民会議を迎えるために打ち上げを行ったと考えられる。


このようなロケットに対し、必要以上の過剰反応で応えることは、逆に朝鮮に対する恐怖心を日本国民に植え付け、このロケットの軍事的脅威を過大に評価させる結果につながる。本当に危険なのは、すでに配備されているといわれるノドンミサイルの方であり、それに搭載可能な核弾頭が開発されることだ。そうなる前に、朝鮮の核放棄を誘導するなり、朝鮮との関係を改善し、攻撃の意思を失わせるなりの対策を講じて朝鮮の核ミサイルが日本を攻撃する可能性をなくすことが国民の生命と財産を守るうえでより重要なことではないだろうか。

2009年4月5日、朝鮮が人工衛星運搬ロケット「銀河2号」を発射し、人工衛星「光明星2号」の軌道投入に成功した、と報じた。ラヂオプレスが伝えた朝鮮中央放送(国内向けの放送)では、衛星管制総合指揮所を訪れた金正日総書記は科学者らに対して「たった一度の打ち上げで人工衛星を軌道に正確に進入させ、われわれの主体的な科学技術の威力を誇示した」と科学者を賞賛し、「宇宙空間の征服と平和的利用の分野において新たな転換をもたらすべきだ」との指導を行ったとのことだ。


日本や米国、韓国は今回のロケットの打ち上げを弾道ミサイル技術開発の一環としてとらえ、朝鮮に対し「いかなる核実験又は弾道ミサイルの発射もこれ以上実施しないことを要求する」ことをうたった国連安保理決議第1718号に違反するとして、朝鮮を非難している。

中国やロシアは、朝鮮が今回のロケット打ち上げを人工衛星の発射のためだとし、国際海事機関(IMO)や国際民間航空機関(ICAO)に打ち上げの事実を通報し、2009年3月12日付の『朝鮮中央通信』が「月その他の天体を含む宇宙空間の探査および利用における国家活動を律する原則に関する条約」(宇宙条約)と「宇宙空間に打ち上げられた物体の登録に関する条約」(宇宙物体登録条約)に加盟したと報道したように、人工衛星の発射のための国際的手続を踏んだことから、今回の一連の活動を弾道ミサイルの発射実験と解釈することには難色を示している。


今後、国連安保理を舞台に外交戦が繰り広げられていくことになろうが、ここで注意しなければならないのは、朝鮮の今回の打ち上げを非難している日米韓の温度差だ。

米国は4月5日のプラハでの核不拡散に関するオバマ大統領の演説の中で「違反には懲罰があるべきだ」とロケット打ち上げを容認しない姿勢を表明し、ライス国連大使は国連安保理の緊急会議後に「何が打ち上げられたかは問題ではない。打ち上げられた事実自体が決議違反だ」と厳しく非難する発言をしている。しかし、ロケット発射前々日の4月3日に米国のボスワース朝鮮担当特使は記者会見の席で、六カ国協議を中心とした朝鮮との対話を推進していく立場を表明している。対テロ戦争を戦う米国としては国際社会に対しては脅しに屈さない毅然とした姿勢を見せつつも、対話は開いておくというやり方だ。

韓国政府は、「北韓長距離ロケット発射に対する大韓民国政府声明」を外交安保政策調整会議議長・外交通商部の柳明桓長官が発表した。この声明で韓国政府は朝鮮のロケット発射は「国連安保理決議1718号に明白に違反することであり、北韓のどのような主張にも関係なく、朝鮮半島および北東アジアの安全と平和に脅威を与える挑発的行為です」と非難している。同時に「北韓が慢性的な食糧不足を解消することができる莫大な費用をかけて長距離ロケットを発射したことに対して、わが政府と国際社会は大きく失望しています」と朝鮮の行動が国民の生活の質の向上に資するものではないと非難している。しかし、4月3日にロンドンで開かれた韓中首脳会談で、李明博大統領は「南北関係がいろいろな状況になっているけれども、韓国政府は開かれた心で対話する準備ができている」と表明している。ロケット発射という北東アジアにおける安全保障に脅威を与える行動に対して、また朝鮮の国民の生活の質を下げる行動に対して強い態度で非難しつつも、対話の準備ができているという両面性を持った行動となっている。

これに対して、日本政府は3月27日にさまざまな技術的制約がありながらも「弾道ミサイル破壊措置命令」を出した。国内での報道は、ミサイル防衛システムの限界について深く掘り下げるものは少なかった。発射のずいぶん前から「北朝鮮が衛星打ち上げと主張する弾道ミサイルの発射」などの表現が使われ、まるで戦争が起こるような雰囲気が作られてきた。発射後には、自民党の細田博之幹事長が4月6日に国会内で開かれた政府・自民協議で、「人工衛星だろうと何だろうと関係ない。日本を飛び越えたこと自体がわが国に脅威で、人工衛星が軌道に乗っていないとの議論はとらえ方が甘いのではないか」などと日本に対する脅威を強調し、あたかも一方的に攻撃を受けたかのような受け止め方をしているものが多い。そして米韓との最も大きな相違点は、対話についての言及が全くないことだ。

中ロはもとより、米韓も朝鮮との独自の対話ラインを持ち、うまくいっているかどうかは別として朝鮮との対話を行っているのに対し、日本は2006年2月に開かれた第1回日朝包括並行協議以来、拉致問題以外の議題で朝鮮との対話を行っていない。日本政府の拉致問題に偏った政策が現在のような日朝対話不在、外交不在の状況を招いてしまっているといえる。アメリカや中国でさえ発射を思いとどまらせることができなかったことを日本ができたかと言えば難しいのが現実だが、日本の考えを伝えるチャンネルがなかったのは、残念なことだ。


以上のように、米韓は朝鮮を非難しつつも対話を行う準備と戦略、そしてそのチャネルを持っている。しかし、日本は対話について言及できないほど関係が悪化している。今後の六カ国協議においての駆け引きを有利に行うためにも日本は朝鮮との対話を行う準備と戦略、チャネルを用意していく必要がある。「朝鮮なんかと対話をしても意味がない」という声が聞こえてきそうだが、忍耐強く話し合いを進めていく外交を放棄したところで、日本は得るものがない。長く困難な道のりを経て初めて、日本が追求する利益を実現することが可能になるのではないだろうか。

では、日本が追求すべき利益とは何なのか、国民の生命、財産の安全はいうまでもない。それ以外にもいろいろある。それについてはまた別の機会にふれてみたいと思う。

集団体操と芸術講演「アリラン」の内容は、朝鮮の現代史から将来の朝鮮の姿までを描くものとなっている。朝鮮労働党の考える歴史観、発展観に基づいて作られた巨大な「官製宣伝劇」と言ってもよいだろう。

「アリラン」の主要な対象は外国人観光客ではなく、実は、自国民だ。自国民を対象とした教育・宣伝を外国人(や海外同胞、南の人たち)が見ても楽しめるように芸術的に洗練させたものが「アリラン」と言えるだろう。

そういう「官製宣伝劇」は朝鮮半島研究者にとっては大変貴重な教材となる。なぜなら、「アリラン」には現在の朝鮮労働党が考えている世界観が反映されており、朝鮮の現状や政策を分析するときには、その世界観を知っておく必要があるからだ。

朝鮮の視点から朝鮮や周辺諸国、世界を見る視点を養うには、「アリラン」はとてもよい教材だ。



私は朝鮮経済に関心があるので、「アリラン」で経済がどのように紹介されているのかに注目した。その3で紹介した畜産の振興など、「人民生活向上」に関連するものとしては、大豆の増産や種子革命といったおなじみのスローガンがたくさん出てきた。


朝鮮は最近、産業政策で科学技術重視を打ち出しているが、「科学技術-最先端水準に」というスローガンが登場した。その他、IT重視などのスローガンも出てきた。



経済の話が終わった後、出てきたのは朝鮮の対外活動の基本である「自主、平和、親善」だった。この方針は1992年の憲法改正で、それ以前の「国家は、マルクス・レーニン主義及びプロレタリア国際主義原則で社会主義国と団結」するというものから大幅に変更されたものだ。



私は「アリラン」が「自主、平和、親善」のスローガンで終わったところに、朝鮮労働党の対外関係改善、特に米国と日本に対する関係改善の熱意を感じた。現実の行動では日本人から見ると好戦的に見えるが、国民に対する教育で「自主、平和、親善」により対外関係が開けていくと示していることに、朝鮮のある種の本音が見えるような気がした。

もちろん朝鮮の人々がとらえる「自主、平和、親善」の含意と国外の人々がとらえるそれには大きな差違があることも事実だ。国内向けには「自主」の固守を主張し、外国向けには「平和、親善」を強調するイメージ戦略があるのかもしれない。しかし私はソ連・東欧の社会主義政権が崩壊した直後の1992年に朝鮮が20年ぶりの憲法改正をして対外活動原則を変更した事実を重く受け止めたいと思っている。すでにEUの国々はフランス以外、朝鮮と国交正常化をしている。





訪問期間中、マスゲームと芸術公演を取り混ぜた「アリラン」を観にいった。以前「アリラン」を見たのは、2005年だった。3年たってから観ると、毎年少しずつ芸術講演の比重が高まってきていることを感じた。


最初のころは、参加者の多くが青少年(学生)中心だったのが、大人の参加者の比重が多くなってきたように思う。今回も会場の綾羅島メーデースタジアムに行くと、準備を終えて会場に向かう参加者たちが行進している姿を見ることができた。



今年は、上の写真のように、大人による競演も多く、また演技に見入ってしまって写真が撮れなかったが、アクロバティックな出し物も増えていた。北京オリンピックの開会式の時に聖火に点火した李寧(Li Ning)さんのように、空中をワイヤーに吊られて舞う出し物もあった。

とはいえ、物語の中には朝鮮の建国から現代までの歴史と今後の朝鮮の姿が、現在の朝鮮の観点から整理されて入っていることに変わりはない。国民に対する思想教育の一環としての「アリラン」の姿は、朝鮮の視点から近現代史と朝鮮の姿、そして朝鮮の未来を考えるうえでのまたとない教材ともいえる。



朝鮮の経済政策についての場面を見ていると、朝鮮が現状をどう把握し、どのような発展を目指し、そのための方法は何なのかについて、知ることができるようになっている。本来、「アリラン」はそのための宣伝手段なので当然だが、朝鮮の人々がどのような教育を受け、世界情勢をどのように判断しているのかを知るうえで、そして朝鮮に流れる「雰囲気」を感じるうえで、朝鮮を研究対象にしている研究者にとっても有用なツールだと思った。

建国60周年を間もなく迎えようとしている平壌は、街に飾られている装飾や祝賀のスローガンがいつもより多く、華やかな雰囲気だった。日本では軍事パレードがどのように行われるかが大きく注目されていたようだが、平壌の人々にとっては、政治的な行事はさておいて、9月9日~11日の3連休が楽しみのようだった。

夏の暑さも一息ついたものの、晴天が続き暑かった平壌では、路上の簡易売店でアイスクリームやサイダー、清涼飲料水などがそれなりに売れているようだった。




2000年の「アリラン」の時に平壌市内に設置され、その後全国に広まった「売台(メーデー)」は、その後もなくなることなく、朝鮮の風景に溶け込んでいる。最初のころは珍しくて写真を撮ったり、何を売っているのか尋ねたりすることが多くなったが、最近はその店のアイスバーの取扱銘柄やアイスバーの溶け具合などが気になる(店によって品質や保存状態に若干のばらつきがあるので)ようになった。

このような簡易売店は、常設の店舗に比べると埃っぽい街頭にあったりして衛生状態などが少し劣ることもあるが、全体的に中国よりはずっときれいで、韓国と同じくらい、日本のお祭りの屋台と比べてもそれほど不潔だとは思わない。ただ、売っているものの品質に関しては、よく吟味する必要があるかもしれない。サイダーやアイスバーなど、瓶に入っていたり個別包装になっているものはまず大丈夫だが、パンや揚げ菓子などは直射日光にさらされた結果、酸化が進んでいる可能性もあり、必ずチェックしたから買う方がいい。



滞在中、平壌サーカスを見学する機会があった。
平壌サーカス劇場は、市内の西方、光復通りにある。
普段サーカスを見ないので、断定はできないが、空中芸では空中後方4回宙返りなどの技が披露され、レベルはかなり高いのではないかと思う。



サーカスに出てくるクマはとても愛嬌があり、ユーモラスな動きをする。動物虐待という風に見る向きもあろうが、平壌ではそういった考え方はまだ一般的ではなく、楽しい出し物としてみんなが見ていた。

2008年9月6日~13日の日程で平壌を訪問した。今回は、朝鮮の学者との交流と建国60周年を祝う各種行事への参加が主目的だった。


平壌の順安空港に到着後、前回の訪問時にも見た新しいランプバスがわれわれをターミナルまで連れて行ってくれた。小さな変化ではあるが、空港内の案内表示がピクトグラムを多用したものに変更されるなど、全体的に「国際標準」を目指した変更が行われている。


市内までの道は新しく舗装し直されている部分が多かった。市内に入ると、祝賀ムードを盛り上げるためかさまざまな趣向を凝らした看板や旗が飾られていた。



今回の祝賀行事の中では、9月8日に平壌体育館で開かれた「中央報告大会」や9日に金日成広場で行われた民間武力である労農赤衛隊の行進と群衆集会とともに、マスゲーム「繁栄あれ、わが祖国」と「アリラン」が特に印象深かった(多くの大会と「繁栄あれ、わが祖国」には、カメラを持って行けなかったので写真はない)。

マスゲームは以前の「アリラン」のように、学生が主体のどちらかというと堅めの印象を与えるものだった。多くの学生が参加しているが、勉強に差し支えないか心配で周囲の人にたずねると、「体力的にも、精神的にも鍛錬になるので、問題ない」という返事が一様に返ってきた。ただ、「一部のエリート校の学生は参加しない」という返事もあった。


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丹東を18時31分(中国時間)に発車した列車は、途中鳳凰城と本渓に停車し、瀋陽には22時09分に到着する。

丹東発車後、しばらくして夕食をとりに食堂車に向かった。現在でも中国の中長距離列車には食堂車が連結されており、温かい食事を取ることができる。国際列車は国内列車に併結されているが、食堂車は国内列車と国際列車の境界ではなく、国内列車の座席車と寝台車の境界に位置している。そのために、国際列車から食堂車に行くためには、国内列車の2等座席車(硬座車)を5両分歩いていかなければならない。

さらに、硬座車の乗客が国際列車に入り込まないように、国際列車と国内列車の境界の扉が施錠されている。仕方がないので、乗務員を呼びに行き、扉を開けてもらう。「帰ってくるときには、扉をたたけば開けてやる」というので、少々不安になりつつも空腹に負けて食堂車に向かう(なぜ不安かというと、以前ロシアの車両が併結されているときに同じように食堂車に行き、その帰りに通せんぼを食らったことがあるからだ)。

丹東~北京を結ぶK28急行列車の食堂車は北京の列車段(運転所)が担当している。そのため、料理は北京風だ。エビと卵とキュウリの炒め物(木須蝦仁)とタマネギと牛肉の炒め物、ご飯・スープセット、ビールを注文する。しめて65元。肉や野菜の味は、朝鮮の方が濃かったような気がした。でも、久しぶりの中華料理なので、美味しくいただいた。

列車はほぼ定刻に瀋陽駅に到着した。列車はこれから北京まで走り続けるが、筆者は瀋陽で列車とはお別れだ。雪が降りしきる中、まだ低床式の瀋陽駅のホームに降り立った。


1990年代後半以降、長らく電力事情が悪かったことから、列車が遅れることが多かったのだが、今回はほとんど遅れずに、15時23分に新義州に到着した。いつもより揺れるなと思ったのは、速度が速いせいだった。最大で2時間程度遅れることもあっただけに、平壌~新義州間225キロの地域において全般的に電力事情が好転していることを感じた。

朝鮮側国境駅である新義州駅到着後は、約2時間半の停車時間の間に、出国審査、検疫、税関検査を車内で行う。税関検査も車内で行うため、X線検査機などは使わずに、荷物を直接開けて検査をする。この検査はかなり厳格で、列車が遅れずに到着すると余計に厳格になる。なので、列車が時刻通りに運行することは旅行者にとってありがたくもあり、また迷惑でもある。

新義州駅を出発した列車は、ゆっくりと鴨緑江にかかる橋を越え、7分程度で中国・丹東駅に到着する。到着後、同じように入国審査、検疫、税関検査を車内で行う。中国の税関検査は果物や肉類を持っていない限りほぼフリーパスで、検疫も体温を測るだけだ。いつもながら、余りの簡単さに拍子抜けしてしまう。入国審査が終わり、パスポートを入管職員が配ってくれれば列車から降りて、散歩をしてもよくなる。その後、中国側の国内列車の車両を連結する作業があり、国内列車の乗客が各々の車両に乗り込むと少しして発車となる。

今回の訪朝の帰り、平壌~瀋陽間で国際列車を利用した。現在、平壌発の国際列車は中国・北京行きが週4便とロシア・モスクワ行きが週1便運行されている。

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国際列車乗車券の表紙兼座席番号案内

北京行きは月、水、木、土曜日の10時10分に平壌を出発し、翌日の08時29分に北京に到着する。

平壌発月曜と木曜が朝鮮鉄道の車両で中国製の中国鉄道25K型相当で空調用ディーゼルエンジンを搭載したエアコン付き車両(ただし暖房は石炭)を利用している。水曜と土曜は中国鉄道の車両で、ドイツ製(旧東独)の18型車両を使用している(エアコンなし)。一般的には上級寝台(軟臥)と一般寝台(硬臥)がそれぞれ1両だが、多客期には平壌~丹東間で朝鮮鉄道の寝台車が1両増結されることもある。いずれも、各国内では国内列車に併結される。

モスクワ行きは土曜日の10時10分に平壌を出発し、翌週の金曜日の17時57分にモスクワに到着する。ロシア鉄道の車両で平壌~瀋陽間は平壌発北京行きの国際列車に併結され、瀋陽駅で一晩過ごした後、北京から来るモスクワ行き国際列車(中国国内ではK19)に併結され、モスクワに向かう。

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国際列車乗車券(乗車券部分)


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国際列車乗車券(寝台券部分)


今回は、水曜日発の列車を利用したので、中国鉄道の車両だった。各車両の乗降口に立っている乗務員(中国人)にきっぷを見せて車両に乗り込む。中国人らしくないからか、中国語で「朝鮮人か」と聞いてくるので、「日本人だ」と答えると、「日本人!!」と絶句していた。日朝関係がこんなに悪化しているのに、平壌に来ている日本人は珍しいのだろう。今回、軟臥車の4人用コンパートメントに同席したのは、中国・河南省からやってきたエンジニアの2人連れだった。

平壌駅を10時10分に出発した、「赤旗号」電気機関車牽引の国際列車は、平壌市内では比較的ゆっくり走るが、郊外に出ると時速80キロくらいで走るところもある。平壌を出た列車は途中、新安州、定州、宣川、塩州に止まり、新義州には15時15分に到着することになっている。

昼食時には、久しぶりに食堂車を利用した。久しぶり、というのは、コンパートメントに同席する人が朝鮮人だった場合、たいてい大量のお弁当(おかずとご飯、ビール、焼酎etc.)を用意していて、高い食堂車なんかに食べに行かずに一緒に食べよう!と誘ってくれるからだ。

食堂車は国内列車との境に連結されていて、どちらからでも来ることができるようになっている。メニューは定食が5ユーロだ。鶏肉、魚のフライ、豚肉料理、野菜料理など5品で、キムチとご飯、スープが付く。味は素朴で結構美味しい。ただ、車両の整備状況が悪いせいか、中国鉄道の車両よりはよく揺れた。この日は、以前食堂車で食事をしたときよりも速度を上げて走っていたようだった。

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国際列車乗車券の裏表紙

これは前からであるが、平壌の凱旋門がライトアップされているのは、大変美しい光景だった。モランボンの丘を越えるところにある千里馬銅像もライトアップされていたが、こちらは写真をとりそこねた。千里馬銅像のライトアップは最近始まったそうだ。写真の右下に写っているのは、モランボンの丘につながる道路の両脇に立っている街路樹に施した電球だ。

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ライトアップされた凱旋門をモランボンの丘から望む

そのほか、金日成広場を見下ろすように建っている人民大学習堂(中央図書館)も、きれいにライトアップされていた。2月下旬の夜の平壌は相当寒かった。おそらく氷点下5度くらいまで下がっていたのではないかと思う。そのかわり空気は澄んでいて、平壌の夜景がきれいに見えた。

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ライトアップされた人民大学習堂を金日成広場から望む

こういう風景を愛でると、今の日本では「電力が不足しているのにもかかわらず、こうやってライトアップしているのは体制宣伝のためだ。それを無自覚に愛でるとは何事だ」という反応をする人もいるだろう。しかし、朝鮮の人たちがそうした方が街がきれいに見えると思っているのも事実だ。この写真を撮ったのは夜の22時過ぎだが、私が特に夜景を見ることを希望したわけではない。案内人が夜景がきれいだから見に行こうと誘ってくれた。私はきれいなものを見せてやろうと連れ出してくれた案内人たちに、そういう無粋なことを言う神経は持ち合わせていないので、みんなで記念撮影をし、2008年春の訪朝の記念品とした。

平壌市内でこれだけきれいな夜景を見たのは、1996年の初訪朝以来12回の訪問で初めてだった。宣伝のためかもしれないが、ここまでライトアップできるようになったのは、朝鮮経済ことに電力事情が好転しているためではないかと思われる。

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