2008年5月、中ロ国境の旅(その3)

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バスは長い間田舎道を走り、途中から、ウラジオストク~ハバロフスク間の連邦道路(国道)に入った。バスに乗ってから約2時間半後、ウスリースクの街の光が見え始めた。それほど大きな街ではないのだが、ずっと田舎を走ってきたので、街の光がすごく美しく見えた。

バスはウスリースク市内を回りながら乗客を降ろしていく。バスターミナルらしきところで、他の客はみんな降りた。私は「ウスリースクホテルに行く」と運転手さんに言ってみた。運転手さんは手振りで「乗っていろ」と合図する。

バスターミナルから10分弱走っただろうか。バスは暗い広場に吸い込まれていく。一体ここはどこなんだろう、と思い外を見ると、バスが何台も止まっていた。どうやら、そこはバスの車庫のようだった。

運転手さんはバスを止めると、私に「こっちに来い」と手招きする。言われるとおりに付いていくと、運転手さんが乗用車のエンジンをリモートでかけ(日本車)、ドアを開けてくれた。「ここで待っていろ」とジェスチャーで教えてくれる。

暖房の効いた車の中で(5月だが気温は12度くらい)運転手さんが帰ってくるのを待つ。20分ほど待っただろうか。少し不安になったころ、運転手さんが戻ってきた。

運転手さんは、ウスリースクの街の中へと車を進めた。大通りに入り少し進んだとき、車が止まった。道路際の建物を指さして、「ホテル」と言った。どうやらここが今晩泊まることにしたウスリースクホテルのようだった。

運転手さんに片言のロシア語でお礼を言い、握手をして分かれた。

今日は、スラビヤンカとウスリースクでロシア人の親切のおかげで救われた。


ロシア人は親切だが、ロシアの制度は大変だ。この後トラブルが起こることを知らず、ロシア人の親切に感激しながら、まずはホテルにチェックイン、と思いホテルに入った。

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