2008年5月、中ロ国境の旅(その2)

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琿春のバスターミナルを13時に出発したバスは、20分ほどで中国側の国境検査場(琿春口岸)に到着した。荷物をすべて持って、検査場の建物の中に入る。通関と出国審査はバスごとに行うことになっているので、先客のスラビヤンカからの買い物ツアーバスの乗客の検査を10分ほど待ってから、路線バスの客の検査へとうつる。

税関は、大量の荷物を持っていない限り、荷物をX線検査機に通して終わりとなる。かかる時間は1分くらいだろうか。出国審査も審査自体は30秒ほどで終了する。効率性という意味では、琿春口岸はしっかりしている部類に属する。

出国審査を終え、バスのトランクに荷物を戻し、座席に着く。出発から1時間もたっていない13時50分、バスはロシアへ向けて出発した。

琿春の口岸から国境までは約100メートル、両国の国旗が並んで経つ国境線を越えると、すぐにロシア側の検問所がある。ここで、まずは検問を受ける。前にバスがいたので、ここで通過待ちに20分ほど待つ。出入国検査と税関検査はバスごとに行うので、前のバスが検査を終えるまでは待たないといけないので、ここで順番待ちの行列となる。

検問所をこえ、次は検疫ポストで停車。タイヤに消毒液をかけて消毒となる。出入国検査と税関検査を行う建物はもう見えている。検疫ポストはすぐに出発し、出入国検査と税関検査を行う建物の手前で前のバスを待って15分ほど停車。前のバスが、お客を乗せるために移動した後、われわれのバスが、建物に到着する。

出入国検査は国境警備隊によるパスポートとビザの審査(スタンプを押してくれる)と出入国管理局(こちらは内務省)の検査の2段階ある。まず、国境警備隊の方から出入国カードをもらって、記入。ロシア人はどんどん検査が進んでいくが、外国人は出入国カードをもらい、記入する時点で遅れてしまう。でも、バスは最後の一人を乗せるまで出発しないので焦る必要はない。

出入国カードを記入後、審査の列に並ぶ。ここ、クラスキノは日本人も割合多く通過(中国人と韓国人が多いが)するので、審査自体は割合スムーズだ。5分もかからず審査完了で、次に出入国管理局のカウンターに行ってスタンプを押してもらったパスポートと出入国カードを見せる。1分ほどで登録完了し、次は税関検査。X線検査機に荷物を通して、おしまい。係官から持っている外貨の金額を聞かれるが、全部で~ドル相当、と言うとそのまま通してくれた。

普通はこれで手続完了となるのだが、クラスキノでは次に保険の購入をさせられる。数日の滞在だと150ルーブル。怪我や病気の場合、ロシアの負担にならないように購入しなければならない。これは、ロシアが認めている日本の保険会社発行の保険証書を持っていればおそらく保険は購入しなくてもよいのだろうが、私はいつもクレジットカード付帯の保険を使っているので、ここではおとなしく保険を買うことにする。

保険を買う手続は2分ほどで終了し、保険証券をもらう。それから10分ほど、他の乗客の手続が済むのを待ってバスは再度出発した。

建物を出てすぐに検問所。ここで数分停車の後、バスはクラスキノの町に向けて出発した。クラスキノまでは15分ほど。ピンク色の建物のホテルの脇に停車した後、次の停車駅のスラビヤンカに向かう。

出入国検査をする建物から、クラスキノ経由スラビヤンカまでは全区間舗装道路だ。車や人が行き交う中国の道から、ひたすら草原の中を走るロシアの道に入ると、人口密度が下がったことを実感する。

19時20分ころにスラビヤンカに到着した。しかし、ウスリースク行きのバスは19時00分にすでに出発していた。国境で前のバスを待ったためにぎりぎりで乗り継ぎができない時間についてしまったのだ。ウスリースクまで行く客は普通、朝の延吉発琿春経由ウスリースク行きのバスに乗るので、スラビヤンカでの接続は特に考えられていない。


途方に暮れていると、同じバスに乗ってきたロシア人が、「友人が自分をウラジオストクまで送ってくれるから、お前も乗っていけ」という旨のことを(おそらく)ロシア語で言ってきた。私はロシア語がほとんどできないので、困っていると時計の8時のところを指さして、「ここで待っていろ」という仕草をする。20時に待ち合わせをしているのだと思って、うなずくと、件のロシア人は外に出ていった。

もし乗せていってもらえなかったら、ホテル探しをしないといけないな、と不安に思いながら待っていると、20時少し前に件のロシア人が登場。彼の友人の車に同乗させてもらうことになった。

私はもともとウスリースクに行きたいのだが、彼らはウラジオストクまで行くという。時間的にウラジオストクに着いてから同日中にウスリースクまで行くのは無理だなと思いながら、「ウスリースクに行きたいんだけど、時間がないからウラジオストクまで行って、1泊してからウスリースクに行く」ということを片言の英語で伝える。

何とか理解してもらったようで、車は一路ウラジオストクに向けて走り出した。スラビヤンカからウラジオストクとウスリースクはウスリースクの少し手前まで同じ道を行くことになる。途中、非舗装区間や道路整備のために工事現場となっている区間を通過する。かなり揺れる。車は日本製の状態のよい中古車なので、それほど怖くはなかった。

かなりのスピード(120キロくらい)で田舎道を飛ばしていると、前方にバスが止まっているのが見えた。運転していた男が「ウスリースク、ウラジオストク」と尋ねるので「ウスリースク」と答えると、バスに乗れと言う。バスの運転手に「この日本人はウスリースクまで行きたいと言っている」らしきことを言ってくれた。

バスは韓国製の中古車で、高校生とおぼしき乗客が6人くらい乗っていた。スラビヤンカを19時に出たウスリースク行きのバスだった。バスに乗り、一路ウスリースクへ向かう。とりあえずバスに乗ってしまえば、ウスリースクまではいけるだろうと安心し、暖房の効いたバスの中で眠りに吸い込まれた。


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