2008年5月、中ロ国境の旅(その1)

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2008年5月10日~13日、中ロ国境地方を旅した。

今回は、中国・吉林省延辺朝鮮族自治州の州都、延吉を起点に琿春経由でロシアのウスリースクを往復するルートだった。

5月10日の朝6時、延吉市の東北亜バスターミナルに行った。月曜~土曜の朝7時05分に延吉からウスリースクに向かう国際バスに乗るためだった。

時刻表を見ると、確かに7時05分発のウスリースク行きの表示が出ている。国際バスの切符売り場の表示が出ている窓口で、「ウスリースクまで1枚」と言ってみた。そうすると係員が何気なく「昨日バスが来なかったので、今日はバスが出ない」と言う。なぜそうなのか尋ねてみても、「わからない」の一点張り。この事態の謎はあとで解けるのだが、とりあえずホテルにとって返す。

延吉発ウスリースク行きは月、水、金発が中国のバス、火、木、土がロシアのバスによって運行されている(ウスリースク発延吉行きは国籍が逆となる)。なので、金曜日の夕方にロシアのバスが延吉まで来なかったことになる。

ここで考えられる可能性は、ロシアのバスが
(1)ウスリースクを出なかった、
(2)ウスリースクを出たが、途中故障等で引き返した
(3)琿春まで行ったが、延吉までは来なかった
ということになる。

対処方法としては、(1)と(2)の場合、ウスリースク行きのバスに乗ることはあきらめて、琿春を午後に出るスラビヤンカかクラスキノ行きのバスに乗ることだ。(3)の場合は、琿春を9時30分に出発するダイヤになっているので、急いで琿春まで行くこととなる。このときには(3)の可能性は少ないと思ったので、とりあえずホテルに戻り、対策を考えることにした。

今回の目的地はウスリースクなのだが、琿春を午後出るスラビヤンカ行きに乗って、スラビヤンカまで行った場合、そこから先の接続があるかどうかわからない。クラスキノ行きに乗ると、おそらくクラスキノで1泊することになる。クラスキノで泊まったことがないので、一度泊まってもいいが、クラスキノからウスリースクまでは相当遠く、最短で翌日の朝早く出て昼前にウスリースクに着く計算になる。

中国とロシア・沿海地方の間には時差があり、夏時間で3時間、冬時間で2時間沿海地方の方が進んでいる。そのため、中国時間の13時は沿海州時間の16時となる。琿春発スラビヤンカ行きのバスは、13時に琿春を出る(クラスキノ行きは13時30分)が、国境を越えてロシアに入った瞬間(ロシアの出入国施設までは大体1時間ほどで着く)、17時くらいになってしまう。

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延吉・東北亜バスターミナルに掲示されてある国際バスの路線図


結局、国境を越えるのは少しでも早いほうがいいだろうとの判断で、琿春発13時のスラビヤンカ行きバスに乗ることにした。琿春まではバスで2時間ほど、少し早めに出発し、琿春で昼食を撮ることにする。

琿春には11時30分ころに到着した。バスはバスターミナルの向かいの道路で客を降ろすので、一旦バスターミナルに入り、スラビヤンカ行きバスの切符を買う。延吉から琿春まで約100キロの距離が21元(約325円)だが、琿春からスラビヤンカまでの110キロは235元(約3640円)と10倍ほどの値段となる(ちなみにロシア発の値段はこの1.8倍以上)。

切符を確保したあとは、食事。バスターミナルの筋向かいにある餃子屋さんで水餃子と冷菜、ビールを注文する。25元ほどでお腹いっぱいになる。東北の水餃子は美味しい。ガラス張りのキッチンで注文に応じて餃子を包み、ゆでるので、熱々を楽しむことができる。

バスターミナルに戻り、バスの出発を待つ。待合室にはロシア人の買い出し客とおぼしき人が8人ほどいた。一人はLG製の大型液晶テレビを抱えていた。クラスキノやスラビヤンカといった国境地方では、日常的に中国まで買い出しに行くようだ。

出発の5分前になって、やっとバスが入ってきた。ロシア国籍の韓国製中古バス。中国国籍の国産バスに比べると、年季は入っているものの座席の座り心地などはこちらの方がよい。バスは大量の買い出し荷物を腹に詰め込まれ、ほぼ定刻に琿春のバスターミナルを出発した。出発間際に、乗客がビールを回し始めた。私もご相伴にあずかる。前半は運が悪く、唖然とした一日だったが、後半は運がついてきたようだ。

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