2008年3月、南京(その3)

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南京駅で列車を見た後は、南京大虐殺記念館を訪れた。南京駅からだと遠いのと、渋滞に巻き込まれる危険性があるため、途中の新街口まで地下鉄で移動した。

南京の地下鉄は、2005年開業で駅、車両ともに新しい。表示板やピクトグラムは香港のMTR風だ。中国の南方の地下鉄は、香港がベンチマークになっているのだろう。駅からはタクシーで記念館に向かう。電子地図であらかじめ道路を調べてあったが、タクシーは2キロ弱南京駅方向に走ってから西へと向かった。


記念館に着くと、そこには広大な敷地が広がっていた。現在は入場無料になっていて、多くの国内観光客が訪問していた。参観順路ではないが、まず万人坑に行った。万人坑は日本軍が虐殺された人を埋めたとされる場所を発掘したもので、人骨があちこちに見える。

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万人坑の外側

参観者のほとんどが国内観光客だった。多くの若者が携帯電話内蔵のカメラで人骨の写真を撮ろうとして警備員に注意されている。警備員は大声を出すだけで、それ以上は何もしない。なので、写真撮影は怒られながらも無事に終了しているようだった。中年以上の人たちは、ある人は眉をひそめ、ある人は感心がないようだ。共通しているのは、若者たちを注意しないこと。

中国の若者たちにとって、日本の侵略や住民虐殺は、すでに教科書で教えられる「歴史」になりつつあるのだろうか。それとも単に物見高いだけなのか。日本帝国主義の侵略を告発しているはずの中国人が、おそらく自分たちの同胞であろう死者に対する冒涜にも近い行為を行ったり、それを黙認していることを、万人坑という、ある意味での「聖地」で目にしたことは、私にとってショックだった。

日本では相変わらず万人坑が本物かどうかという議論が行われている(実際に何があったのかを確定する作業自体は重要であると思う)が、そういうことに集中するあまり、中国で起こりつつある、新たな変化を見逃してはいないだろうか。私は「反日」を叫ぶ人たちよりも、情操に欠けた人々の方が、隣人としては有害だと思う。


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南京大虐殺記念館のモニュメント(新)

万人坑を見た後は、本館に戻り、歴史資料の展示を見た。展示は中国政府の公式的な歴史観を反映してはいるが、ことさら日本に対する敵意はないように感じた(それでも、これを「反日」だと思う人は多いのだろう。「反日」が反日本帝国主義であればそれはイエスだが、反日本であるとは私には思えなかった)。どうすればこのような不幸な歴史を再び繰り返さないのか、という視点から構成されているように感じた。

ただ、「事実」の正確さを重視する日本の感覚から、展示された史料(特に日本語史料)を見ると、もう少し他のものを使った方がわかりやすいのではないかという点がないわけではなかった。当時の日本の新聞記事などが展示してあるが、説明したい物事と記事の内容が離れているものも多かった。おそらく、日本語の史料収集に精通した学芸員が不足していたのであろう。

その点では、沖縄にある平和祈念資料館の展示の方が、日本帝国主義の生成と成長、第2次世界大戦での敗北までの歴史を、適切な史料に基づいて総合的に解説しているように思う。ただ、おそらくこれは、私が歴史を語る上での日本の「作法」に慣れ親しんでいるからであって、他の国の人が見たときにどう感じるかは、また別の問題だろう。


200803nanjing_m03.jpg南京大虐殺記念館のモニュメント(旧)

本館を出て、記念館の敷地内を散策した。多くの国内団体観光客がガイドさんの案内に従い集合している。老若男女いろいろな集団がある。年齢層の高い集団は、物思いにふけったり、小声でおしゃべりをしている人が多かった。中国は老人でも声の大きい人が多いが、どうも記念館の敷地中では力が出ないようだった。

40代以下の人たちは、元気いっぱいの大声でおしゃべりをし、電話をかけている人や、いちゃいちゃしている若者カップルなど、普段目にする中国人の行動をしていた。私の目には、50代以上の中国人と40代以下の中国人は、全く別の国から来た人のように見えた。

この「発見」が、南京大虐殺記念館に行って得た最も大きい収穫だったように思う。

もし、上海で1日時間が空いたら、ぜひ南京に行ってみることをおすすめする(ただし、南京は中国三大猛暑都市(三大かまど)の一つなので、夏はおすすめしない)。

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