2008年3月、上海(その1)

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2008年3月22日、中国・上海を流れる黄浦江を観光した。

上海を訪れるのはおよそ1年半ぶり。1987年に初めて訪問して以来、5~6回目の訪問だと思う。大阪にいたときには、大学で会う中国人の多くが上海や江蘇、浙江出身だったので、気分的には親しみがあるのだが、2001年に新潟の職場で働き出してから出張で行くのは、東北地方(遼寧、吉林、黒竜江)がほとんど(南限は北京、天津)なので、大変新鮮だ。

浦東開発が始まってから、上海の夜景もずいぶんと変わったが、上海に行っても外灘にはあまり行く機会がなく、遊覧船に乗るのは、実は今回が初めてだった。

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黄浦江から見た浦東のビル

黄浦江から見た浦東は、各種の高層ビルがそびえ立つ、大都会を象徴するような場所だった。初めて来たときには高層ビルなどひとつもなかったが、この20年間で全く異なる場所に変貌した。

遊覧船は、各地から上海でやってきた人々でいっぱいだった。このお上りさんの集団は、1987年に来たときにも見かけた。上海が中国の先端を行っている都会だということは、おそらくずっと前から変わっていないようだ。おそらく、20世紀の前半からそうだったのだろう。

同じように大きく変わった街に北京があるが(中国全土が変わっているといった方がいいかもしれない)、北京の変化と上海の変化は大きく変わったという点では似ているが、細かいところを見ていくとずいぶんと違うような気がする。

上海は、確かに最新建築の高層ビルやショッピングモールなどが増えているものの、昔からの路地はそのまま残っているところが多いし、大通りから通りを1本入ると、昔ながらの市場があったりする。それに対して、北京は大規模開発が多く、昔ながらの街並みが残っているところが少ない。

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飛鳥II

遊覧船に揺られていると、美しくライトアップされた船が目に入った。日本の客船「飛鳥II」だった。埠頭につながれていた状態だったので、遊覧船は至近距離まで近づいていった。豪華絢爛、一度乗ってみたいと思わせる雰囲気だった。

1987年に始めて上海に来たときは、大阪港から「鑑真」号に乗ってきた。上海港の国際ターミナルから一歩足を踏み出したときの衝撃を思い出した。当時は人々の服装も、今のように多様化しておらず、紺色や青、灰色、黒といったモノトーンの服が多かった。日本との余りの違いに怖じ気づいてしまい、このまま船に乗って大阪に引き返そうと思ったくらいだった(残念ながら船は上海に2日間停泊するため、最低でも2日間は上海にいる必要があった。上海ではホテルが見つからず蘇州に逃げたが、蘇州の街の居心地がよかったので、次の日には上海での衝撃を忘れてしまっていた)。

思い出に浸っていると、昔乗ってきた鑑真号のような、少しくすんだ船体(あくまで飛鳥IIに比べての話だが)の船が目に入った。大阪と上海を結ぶ「蘇州」号だった。「始めて上海に来たときはあんな感じの船で来たなぁ」という、自分と中国との付き合いの原点に戻ってきた思いがした(まぁ、こういう思い出に浸ることができるようになったということは、自分もおじさんになった、ということなのだろう)。

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