2008年3月、開城工業地区の姿(その4)

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2007年12月11日から南北間を往来する貨物列車が運行を開始した。その姿を見たいと思い、開城工業地区参観の際に鉄道駅を見たいという希望を出しておいたのだが、駅は地区の外にあるため、出入りの手続が煩雑だということで、地区の端にある汚水処理場の前から、駅を見せてもらった。昨年12月から運行しているムンサン~板門間の貨物列車が、南側の機関車と緩急車の2両編成で停車していた。

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板門駅


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板門駅に停車するムンサン行き貨物列車(ただし、荷物なし)

昨年12月の開通直後に、韓国の専門家が、ソウルから70キロしか離れていないという地理的条件から、ほとんどの荷物がトラックで運ばれるため、貨物は非常に少ないだろうと予想していた。案の定、この日も貨物はなく、列車だけが往復する、南北鉄道運行の練習のような運用だった。

ほぼ空の列車を日曜を除く毎日運転している韓国鉄道と朝鮮鉄道、高圧送電線を建設したコストを電気料金に転嫁していない韓国電力、アパート型工場を新設している開城工業地区管理委員会など、開城工業地区の事業はインフラ面で見るとかなりの外部資金(特に南側の政府・公共部門から)が投入されている。それを「無駄」と考えるか、将来のための「投資」と考えるかで、開城工業地区に対する評価も変わってくる。

今回の参観を通じて、現代峨山開城事業所や見学した工場内で南北の人々が以前にも増してうち解けている姿を見た。3年以上にわたる戦争で、同じ民族が殺し合うという悲劇を経験した南北がここまで来られたのは、南北双方の人々の仲良く暮らしていきたいという気持ちとそれを実現しようとする政治家の熱意、その結果としての投資に支えられてきたのだと感じた。

開城工業地区に現在流れている、うち解けた雰囲気は、自然発生的に生まれたものではなく、これまでの10年間、南北双方が意識的に努力して作り出してきたものであり、南北双方にとっての貴重な「公共財」だ。

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