朝鮮の一般庶民のベンツ-自転車

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2007年1月16日、鳥取県の境港港からカンボジア船籍の貨物船が朝鮮の元山へ向けて中古自転車約8500台と中古貨物自動車16台を積んで出港したことが『読売新聞』で報じられた。日本は独自の経済制裁措置で朝鮮からの輸入を全面的に規制はしているが、輸出は今のところ「ぜいたく品」以外は規制していない。しかしこの記事では、朝鮮が自転車を中国など第三国に輸出して差益を得る可能性があり、問題があるという論調で紹介がなされている。この記事に限らず、日本における朝鮮報道は、「北朝鮮は何でも悪い」という論調である。しかし、朝鮮における自転車の利用状況を考えると、日本が自転車の輸出を止めることが、日本にとって利益になるのかどうか、もう少し深く考える必要があるように思う。

朝鮮において自転車は、地方都市や農村において、庶民が自由に移動し、物を運ぶことのできるほぼ唯一の手段である(もう少しお金がある人たちは、中古のトラックを買い、運送会社を経営しているとも言われているが、それを直接見たことはない)。自転車が普及したことにより、朝鮮の庶民は自分たちが必要とする物を市場や生産者から調達し、また自分たちが副業や内職で生産した物を市場や需要者に売りに行くことが容易になった。

kp_bicycle1.jpg写真1(南浦市郊外を走る自転車)
kp_bicycle2.jpg写真2(南浦市の歩道を走る自転車)

私から見ると、朝鮮の自転車は朝鮮における非国営セクターが活発になっている象徴とも言える存在である。中古自転車そのものが市場価格で取引されているので、安い買い物ではない。「庶民のベンツ」といってもいいだろう。しかし、朝鮮にはすでに自転車が買える層が相当数存在するのである。そのため、中国に転売する可能性も全くないわけではないが、その多くは朝鮮国内で販売されると思われる。

その利用方法も、庶民が自由に移動して、買い物に行ったり、行商や配達に出たり、通勤に使ったり、友人・知人に会いに行ったりと、これまでの朝鮮の社会では少なかった自由な経済活動や行動に使用されている。これによって、朝鮮の庶民の生活の利便性は以前よりも向上したといえる。

それだけではない、朝鮮の社会の中に、政府や会社、親族関係といった、従来からある縦割り中心の人間関係だけでなく、経済活動などを媒介に自然発生した横のつながりができてきているのだ。だからこそ、厳しい経済状況でも、何とか食べていける。また、長い間、働いても働かなくてもほぼ同じように分配を受ける社会に住んでいた人々が、今ではどうやったらお金を儲けることが出来るのか(そしてそのお金で配給の不足分を補っている)を考えるようになってきている。そのような社会の変革に(ちょっとオーバーだが、「実利社会主義」以降の朝鮮の社会の変化は、これまでの朝鮮の社会のあり方からすれば、まさに一大変革である)に日本から輸出された中古自転車が貢献しているというのは、日本にとっても悪いことではない。

朝鮮の核開発をやめさせるために経済制裁を行うというのであれば、朝鮮からの輸入を止めるだけで経済的には十分であり、自転車の輸出を止めたところで、(転売したり国内販売をして)貿易を行っている当事者が得ることができなくなる金額は小さい。それよりも、日本から輸出される自転車によって、朝鮮の庶民の経済活動が活発になり、生活が向上するならば、重工業、軍事工業優先の経済政策で苦労をしてきた朝鮮の庶民を助けることになるし、別の面から見れば朝鮮における市場経済の萌芽を日本が間接的に助けることになる。

朝鮮が核放棄をしたあと、朝鮮の庶民が、自分の才覚と努力で生きていける社会を作ることが、そこに住む人々を幸福にし、ひいては北東アジア全体に平和と繁栄をもたらすことになる。現状では自転車はその流れを加速させるツールとして機能している。日本の対朝鮮経済制裁によって、朝鮮の社会が内側から変わろうとする動きまで止めてしまっては、経済制裁が朝鮮民主主義人民共和国という国家に対する制裁を超えて、朝鮮に住む人々に対する嫌がらせになってしまうことにならないだろうか。

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以前、田中角栄という政治家が中国との国交回復をするときに、「国交を回復して日本のテレビをどんどん送って電波、情報を流せば、中国も変るはずだ」との趣旨の話をしたとききます。
そしてその通りなりました。田中角栄のような発想を持って対朝鮮政策を考えるような政治家の出現を期待します。

田中角栄は、貧しいということ、そこから脱するということ、そしてお金の力をよく知っている政治家だったと思います。日本の政治家には、二世、三世の人たちが多く、昨日よりも今日、いい暮らしが出来たことを喜ぶ庶民のバイタリティや小さな幸福を肌で理解できない人が多いのではないかと思います。

日本でも朝鮮でも、庶民が求めていることは平穏で希望の持てる暮らしではないかと思います。そういう普通の人たちが朝鮮に2000万人以上いるという事実が忘れ去られているような気がします。

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