朝鮮の核実験-朝鮮は何を得たのか

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『朝鮮新報』ホームページによれば、朝鮮中央通信が2006年10月9日に地下核実験を安全に行ったという報道があったことを報じた。(10月11日に日本語の記事が出た)

この地下核実験の技術的な性格は、失敗の可能性や本当は核実験ではないなど、さまざまな説があり、現在解析中ということなので、一般論しか話せないが、もしこれが本当の核実験であったとして、朝鮮は何を得、何を失ったのかについて考えてみたい。

今回は、朝鮮が得たものについて考えてみたい。

1.対内的側面
これまで朝鮮は核兵器についてアメリカの敵視政策に対して国を守るための武器であると主張してきたが、これがある程度完成したと受け取られるであろう。それにより、朝鮮の核プログラムが一応成果を上げたことが国民に認知され、軍事優先の経済政策や「先軍政治」に一応の成果があったことを宣伝できる。そして、今後も国民経済よりも軍事部門を優先する経済政策をとることができる。

2.対外的側面
核実験を成功させ、核保有国であることを明確にすることで、朝鮮は世界の先進国、大国しか(実際にはイスラエルやインド、パキスタンなどが保有しているが)参加できない核兵器保有国のリストに追加されることになった。これにより、軍事面では朝鮮の技術レベルが一定のものであることが明らかになり、国威が発揚される。

ここにあげた「得たもの」は、朝鮮国内の観点から見たものであり、外から見ればそれが得たものなのかどうかはよく分からないかもしれない。しかし、朝鮮の経済政策の結果である国民経済の疲弊を考えると、それだけの対価を払った結果が求められるのである。

1953年の朝鮮戦争休戦からこれまで、1990年代中盤の一時期を除いて一貫してとり続けてきた重工業(≒軍需産業)優先の経済政策により、朝鮮の国民経済は極めていびつな形になってきている。すなわち、国力に見合わない軍需産業を持つ一方、国民生活を支える軽工業や農業の発展が犠牲になってきた。

国民生活を犠牲にして軍需産業に投資をしてきたのだから、当然そのアウトプットが犠牲を甘受してきた国民が理解しやすい形で出てこなければならない。そうしなければ、これまでの政策の正統性が吹っ飛んでしまう。

自分たちの生活が苦しいのは、「アメリカ帝国主義」の「圧殺策動」であり、強力な軍事力があるからこそ、アメリカのいいなりにならずにすむのだ、と教えられてきた朝鮮の一般市民にとって、核実験が成功したという知らせは、アメリカも自分たちの力を認めて、まともに相手をしてくれるようになる(=国交正常化をしてくれる)道に一歩踏み出したととられるだろう。

2003~2005年までの3年間、朝鮮経済は少しずつ回復の様相を見せていた。電力事情や石炭事情が緩和され、平壌市内だけでなく、地方都市でも電灯の光を見ることができるようになってきていた。工場の稼働率も依然低いものの若干向上し、中国との貿易の活発化で、中国製の衣類や電気製品も手に入るようになってきていた。2005年には、農業生産が大幅にアップし、国家による食糧供給の事情も若干ではあるが改善されたようである。朝鮮の一般市民の感覚からすると、ここ数年間の暮らしは、格差が相当出てきたというマイナス面があるものの、全般的には相当改善されてきたのである。

生活が若干ではあるが向上し、国際的な名声も手に入れて、アメリカと堂々と戦っているという希望に満ちあふれた姿が今の平壌の姿ではないかと思う。(もちろんそう思っていない人たちもたくさんいる。外の情報を知っている人たちは、1941年の太平洋戦争の開戦時の日本の同種の人々と同じような気分だろう)それがこれからどうなるのかについては、別にまとめたいと思う。

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