Last update 2000/10/15 [写真を入れてみました・ちょっと加筆しました]

私の研究関心


朝鮮民主主義人民共和国

1996年夏,平壌の住宅地区の公園で

 現在の日本で,朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国とする)を研究対象としているというと,十中八九その理由を聞かれる。しかし,その問いかけには,同じ北東アジアの中国や韓国,モンゴル,ベトナムなどを研究対象として選んだ人間に対する質問とは違う,「北朝鮮のシンパ」ではないかという疑いの目が含まれているように感じることも少なくない。研究対象として選んだだけで,そのような疑いをもたれるとは一体どういうことなのだろうか。やはり日本では共和国は「特別な国」なのだろうか。ともかくここでは,私が共和国を研究対象に選んだ経緯を書きたいと思う。
 私が中学生の頃,日本はオリンピック開催を数年後に控えた韓国に対する関心が高まった時期だった。私が通っていた中学校には,国際空港が校区内にあったため,韓国の航空会社の駐在員の子供たちが何人か通っていた。NHKでハングル講座が始まった1984年,私は通っていた中学校にできたハングル教室に参加し,朝鮮語を学んだ。それから韓国に対する関心が高まり,中学卒業後の春休み,中学時代に朝鮮語を学んだ友人に会いに,一人で韓国に行った。私にとって,韓国ははじめての外国であり,そこでの体験や人々との出会いに大きな影響を受けた。高校時代は韓国に関する本が出版されるたびにそれらの本を貪り読んだ。
 韓国漬けの高校時代を過ごした私であるが,高校2年が終わった1987年の春,転機が訪れた。中国に興味を持っていた中学時代の友人と一緒に,2週間の中国旅行に出かけたのである。自分があまりに韓国に浸りすぎているのを自分でも感じていたため,韓国以外の世界も知ってバランスをとろうと思って上海行きの船に乗り込んだ。上海に到着して目にしたのは,テレビでよく見ていた人民服を着て自転車に乗った中国人の大群であった。1978年に改革開放政策をとってから10年が経過した中国ではあったが,そこには日本とはあまりに異質の社会が存在した。中国を2週間旅行して,そこで知り合った人々に少なからず世話になった。この体験から,社会体制が異なっても,そこに住んでいる人々と心を通じ合わせることは不可能ではないということを学んだ。
 学部時代,大阪外国語大学で朝鮮語を専攻した。そこで習う朝鮮語とは韓国で話されているものであり,教材も辞書も日本製でなければすべて韓国のものであった。朝鮮語を専攻科目としてもっている,日本で数少ない学校ですらこのような状況であった。ただ,共和国の文学と政治経済に関して,在日朝鮮人学者による講義があった。私の共和国との出会いは,ここに始まる。これらの講義から伝えられる共和国は,恐怖政治がまかり通る恐怖の帝国でもなければ,金日成の指導の中で全人民が幸福に暮らす理想の国でもなかった。そこにあったのは,日本の植民地支配から解放された後,複雑な国際情勢の中で翻弄されつつも何とか自分たちの国を建設しようとしてきた若い国の姿であった。今まで自分が持っていた恐ろしい国というイメージが変質し始めたのはこのころからである。
 学部卒業後,法学部に編入した。法学部で日本の法律を勉強し,司法試験を受けようと思っていた。しかし,あまりの難しさに早々に音を上げた。3年生のゼミは法理学のゼミだったが,ここでは今まで持っていた法律のイメージとは違う,法の根元を問う話題を,日常の出来事から見いだす作業をした。法というものは一体何なのか,それを考えるきっかけを学ぶことができた。
 4年生のゼミはアジア法のゼミだった。指導教官が中国憲法の専門だったので,中国の法律が主だった。今まで法律の世界でアジアのことを扱った経験がなかったので,よい経験となった。また,この年から中国語の外書購読の授業を受け始めた。私の専門は朝鮮語なので,中国語には親しみがなかったわけではないし,友人には中国語を専門にする人たちも多かったが,自分が本格的に勉強するのははじめてだった。正直に言うと,高校2年の3月,中国に旅行に出かける前に2週間ほどサバイバル・チャイニーズの勉強をして以来,中国語は勉強していなかった。外書購読は最初は簡単そうに思えたが,中国語の文法などをほとんど勉強していなかったので,実際に法律書を訳してみると大変だった。しかし,ここで中国語を特訓されたおかげで,大学院の入試では中国語を試験科目として何とか選択できるくらいまでは中国語ができるようになった。
 大学院(博士前期課程,修士課程ともいう)に入学したのは1995年4月,このとき漠然と研究テーマにしようと思っていたのは韓国法だった。自分が専攻として習った朝鮮語を研究に生かしたいと思ってのことだった。どの分野を勉強するかがなかなか決まらなかった。元々法律そのものより,韓国や共和国の社会に興味があった私は,南北統一に関係する法律を研究しようと思った。

<つづく>

1996年夏,平壌の街角で


mimura@leda.law.osaka-u.ac.jp


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